日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

読書記録と美しいほうの夜

最近本を読む率が上がっていて、今日も1冊読んだ。

直木賞を受賞した『夜に星を放つ』という短編集。

 

(22日までKindle版で買うと半額分のポイントがつきお得だった。なぜ。

なんだろう、心の中をこんなに言葉にしちゃっていいのだなと少し気恥ずかしさと気まずさと羨ましささえ覚える、切なさと痛みとあたたかさが同居したかのような作品でした。

映像化に名乗りを上げるクリエイターいるんじゃないかなあ。情景や台詞のトーンが頭に浮かびやすいから映像と相性が良さそうだ。

 

解決するしないは別軸で、なにかが変わる「合図」って人生の中にある気がして 

その合図に立ち会うような瞬間が詰まっていた。

嫌いじゃない、この読後感。

夜ふかしや暗闇、夜は悪者に捉えられることも多いけれど 夜に救われることだって本当は多い。

 

あ、一日中読書して過ごしたふうな書き方をしましたが本格的に読んだのはまあまあ遅い時間になってから。昼は痛くてね、頭が。

これ見ている人でも頭痛もちの人、気圧の変化にやられる人はいるかもしれないので皆さまお疲れさまです… 

まだすっきりしないけど睡眠は確保してなんとか乗り切りましょうね…

日中はフォームローラーで首と肩をたぶんダメだよってぐらいゴリゴリして、リファのローラーで頭もゴリゴリしてしのいだ。

 


なにも解決していないけどなにかが変わる予感、というか、変えたいなと思う感情は実はプライベートでも起こっている。

気圧も相まって余計にそう感じるのかもしれないが、最近自分のうるささや気遣いのなさに辟易していて 少し意識的に内と外を見つめている。

 

喋りも早口デフォルトだし書く文字量も多いから頭の中が常にうるさいのは想像にかたくないかもしれないが、

とにかく常になにかを見たり調べたり考えたりしないと落ち着かない性分は、

時に自分でも疲れる。

 

情報が多いとパンクするのに、瞬間的に受け取らずにいられない。調べずにいられない。「次の情報が並んで待機しているから」一度ターンがきたら喋らずにいられない。

ああ、うるさい。頭の中が常にうるさい。

(そして周りも絶対うるさいと思っている)

 

ちょっと休もう。頭の中を休ませよう。

そう思った日から、なるべく情報を焦らずゆっくりと受け取るようにし、ワンテンポ、ひと呼吸置いてから喋ることを心がけるようにした。
するとあら不思議、「ぜんぜんそれで成立する」じゃないか。むしろ、人と喋るときは常にそうあるべきじゃないのかと今さらながらに気づいて愕然とした。

 

心がけている段階だから成果はすぐには出ないと思うし、誰も変化に気づかないかもしれないし(精進します)、結局テンション上がると口数は多くなってしまうんだろうし、

そもそも私の良さってそこにも、情報が渋滞するところにもあるんじゃないかとも思うので

いろいろ詰めてPDCA回していきたいけども。(なんなんだよ)

 

ただ、自分比でものすごくゆっくり喋っても、咀嚼して考えても、自分のことを喋らなくても、喋らない代わりに相手や空間の情報を少し多めに受け取っても、

たぶん大多数の人にとっては普通のテンポで、むしろ普通の「心地のいい会話や空間」なんだろうな。

そう気づいてから少しラクになった気がする。

そんなバカなと思うかもしれないが、そんな簡単なことにも気がつけない。ごめんね。誰に謝っているのかはわからないけど。

 

で、矛盾しているかもしれないが、最近本を読む時間が増えたのもその「なんとなくの変化欲」と頭の中のうるささと向き合うためだったりします。

本を読む、それも静かな夜に読むのはいい。言語化する力、整理する力、物事を受け取める力、さまざまなものが弱まっているなと感じたとき 本や夜はとても味方になってくれる。

「いやいや、本の文字を追って情報を得ていたら結局頭の中は休んでいないのでは」それもごもっともだが、なぜか本は大丈夫。たぶん自分以外の人生の話だからだと思う。

 

現実逃避?まあ正直そうとも言えるけど、逃避の先に気づきがあればいいじゃないかということで。自分の知らない、知らないふりをしていたい世界にページを開けばすぐに出会えるのってやっぱりいい。それも夜に。ああ、ちゃんと睡眠もとりますけどね。おやすみなさい。