たぶんその考えで生きていると自分の首も相手の首も絞めるんだろうなあと思いつつ、根底にその気持ちがあるから言えずに飲み込むことがたくさんあるのだろうと分析した。
人生設計をしていったんは思い描いた生活を手に入れ(努力も偶然も運もすべてを駆使して)ても、その後まったく悩みや不安が訪れない人などいるのだろうか。わからないけど。
一度目標や理想を達成したら、また次の山、それも「いつかは登りきれそうだけれど今はまだ少し届かない」山を新たなチャレンジの場に設定して、一日一日、積み重ねていく。
それが生きがいでパワーになる人もいれば、いつまで経っても本当の山に辿り着けず、終わりが見えずに疲弊する人もいるかもしれない。
うーん、私はどっちだっけ?
自分の話をすると、中学時代から思い描いていた夢や理想はあった。
一度は体験してみたいこと、ただただ普通の生活がしたい気持ち。
暮らしというより、ただ生きていくうえでの憧れ。それはそれは切実。体に痛いところや嫌いなところがなにもないタイプの人には想像がしづらいかもしれない。
そのいちばんの夢は、幸せなことに20代で叶った。叶ったと言っていいだろう。
つらいことがあっても、思春期や20歳前後の自分の暮らしより圧倒的に今が幸せなので ふっと冷静になったりもする。
その場その場でさまざまな予想外の出来事に出くわせば、もちろんそれなりにつらいけれど
「ああ、でも根底では叶ってるんだよなあ、もう」
と現在に感謝する。
これは余生なのか?と思ったこともあった。
瞬間的な欲はあるのに長期的な欲がないとでも言うのか。
だから普段からどちらといえばネガティブな思考をしがちであっても、到底不幸ではないと思っている。
ちなみに別の記事で「自分のことが好きになりきれない」ようなことを延々と説明したけれど、それも嘘じゃない。
好きにはなりきれないけど不幸ではないのよ。
叶って幸せを感じることと、自分を全面的に好きになってオーケーを出せるようになることはまた別軸の話なのだった。なんでよ。
叶うのが少し早かった影響か、野心もあまりなく 目標設定やキャリアや人生のなんとかプランにおいて年上の人たちを割と困らせてしまったかもしれない。
次の目標はなんだろう?一応(一応とは)そう思いながら過ごしてきたけれど、そりゃもちろん全く望みがないわけではないし、その年代なりの理想はあるけれども
切実にどうしても一生のうちに叶えたかった夢が叶っている今、いろいろあるよねえと口では言いながらもたぶん、さして重大ではないというか。
しんどいときもあるけど、楽しい。なんでもできる気がする今が、楽しい。普通に眠れて目覚められる今が。
「なにか楽しいことないかな?」クラスメイトが、なにもかも持っていそうな輝いたクラスメイトが机に突っ伏しながらそうつぶやいているのを聞いて、「既にあるよ、みんなには」と心で回答をしたあの頃は、それはそれで生命力があった。
絶対に叶うまで死ぬわけにはいかないんだ、と思ったものな。
私にとっての「なにか楽しいこと」はただの普通の生活で、だから楽しいこともいいこともあった。数えきれないぐらいの普通をプレゼントしてもらっている。
でも叶ったあとでもいいことが起こったあとでも死にたくはないからね。その点で言うといちばんの欲は「叶ったあとも生きたい」「幸せを感じていたい」という気持ちなのかもしれない。
どう考えても夢や理想を叶えて幸せそうな人がたまにSNSで悩みや不安を吐露していても
それは叶ったあとの感情だから、悩んではいるし不安ではあるけれど不幸ではないのだろうと推測する(勝手に)。
少しだけ、まるで叶ったときの自分を見るかのように俯瞰してしまう。
側から見れば悩みに寄り添っていないと見えてしまうときもあるかもしれない。ただ「大変だね」と声をかけることが果たして適切なのかはよくわからない。大変だね、しんどいねと決めつけることが時に失礼にあたるときもマウントに感じられることもあるかもしれないじゃない?
でもたとえばものすごく疲れて愚痴を吐きたいとき、あの頃夢見た未来にまさにいるんだ、そう実感してもそれでもなお疲れているとき、
「でも自分で選んだことだし」「自分が望んだ未来だし」と言葉を飲み込んで八方塞がりになってしまうのは危険だ、とも思う。
自分で自分を締めつけるし、相手のSOSにも鈍感になってしまう。
「でも実際は幸せだよね?どうしても望んだことだったよね」
再確認するのは自分の心にだけで充分。相手にそれを求めるのはよくないよ。
「大変だけど楽しいよ」
たぶんそう言われるのを待っている。開示されない日常に楽しみが多いことを、いつだって願っていたい。
これは誰か特定の人に向けた気持ちではなく(もちろん)ただ生きていく中で思っている話。
台風は長く留まり、雨も降ったり止んだり、私の頭痛も鳴ったり止んだり忙しい。
そろそろ晴れて穏やかな風が吹くといいな。
そしたらきっと、長く留まっているどんよりとした、不幸ではないけれどもモヤモヤとした気持ちも
すこんと突き抜けられそうな気がするんだ。