日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

普通も時代もそうじゃなくても。(30代で思うこと、その一部)

SNSやブログで詳細までは語らないですが、たぶん生き方としてはそれほどマジョリティ側ではない気がしています。あくまでもこれまではそうかもしれないしこれからもそうかもしれないし。

自分が特別だと言いたいわけでもなく、はたまたないものを数えて自虐ぶりたいわけでもなく、淡々とそうなんだよなあという感じ。


今はどんな生き方も選べる時代とか時代は変わったとか、そんな話もありますがあまり公に「時代は変わった、だから私を認めておくれよ」とオラオラするつもりもない。詳しくは後述。

正直自分の根本は昔から変わっていないのである意味時代が勝手に追いついてくれているわけで ありがたい話ですよ全く。ほんとになんかごめんだよ…とすら思う。生きやすく「なってしまった」。そう思ってすらいる。

 


私の友達や周囲には既婚独身育児独立出世街道爆進するしないなどなどさまざまなステータスの方がいますが、◯◯だから素晴らしい、◯◯だからちょっとね(◯◯にはステータスや環境が入ります)と括ったことも─これは逆に相手への敬意が感じられない?良くない可能性もあるかもしれないが正直肩書きで括ったことはないと思う。好きな人たちのことはどんなステータスでも好き。

だからたとえば知り合いがこれ以上の上がないほど大出世しても「もちろんおめでとうだしすごいけど、最初からしごできだと思っていたので特に驚きはなく…」という気持ちで偉い偉くない関係なくカジュアルに接してしまうのである。これもまた敬意が見えづらい云々でいいことではないのかもしれないが、それで成立している関係性もあるっちゃあ、ある。そしてもちろん敬意はあるし、肩書きで括ったことはないが私の周囲には優秀な人や人間性が素敵な人が多いから勝手にどんどん道を切り拓いたり出世していくのでそろそろ私がパワースポットな可能性もあるし(?)、その「人を見る目」ってものを別の分野で生かしたり自分を顧みてステキナワタシになれるための材料としても生かしたらいいのにと思う。なんの話だっけ。

 


自分が経験したことのない世界を経験している人のことはもれなく尊敬しているし、それ以外の人になんの感情も生まれないなんてわけもない。

もし自分と全く同じ境遇ならば仲間意識が生まれて嬉しいだろうし、とにかく人を、それぞれひとりの人として見たいと思っている。バックグラウンドはあまり関係なしに(ただ、肩書き含めてその人の持っている長所や努力や才能だとも思うのでバックグラウンドが「全く関係ない」とは言わない。このバランス難しいね)。

 


自撮りのプロだし私が私が、の投稿や会話などから私を承認欲求の塊、自己肯定の鬼と捉えている方もいるかもしれないが自分に自信は昔からずっとない。

というか、ないからこそ自信が持てそうな部分にフォーカスして私を見て、という想いに到達しているのかもしれないな。

 


とにかくある部分の自己肯定感はずーっと低いままだし自分のことは別に自虐してもいいのだが、私はそれも特にしていない。どうせ◯◯だからさ〜、もう年齢もさ〜などなどもあまり口にしたこともないしぶっちゃけそこまで思っていない。これから思うのかもしれないし自分は甘ったれだなとも感じて反省こそするものの、なんだかいつだって切実さが欠けている。

なぜか?

 


単に楽観的というのもあるが、いちばんはただの私のイチ事例で間接的に他の人のことまで否定したくないから。

どうせ◯◯だからさ〜、性格に問題があるからさ〜、などなど公に発言をしてしまうと、「たまたま同じ境遇や年代」なだけなのに同じ環境に身を置く方々をまとめて批判していることになるなあと思うからだ。それは嫌だなあと。

 


私のことはどう言ってくれてもいいが(いや、ちょっとはマイルドがいいかな突然鋭利な言葉が顔の見えない状態で届くことに慣れていない)、

同じ境遇であろうあの人の人間性に問題があるなんて、思ったこともないぞ。など。

 


みんな言わなくても分かっているとは思うけど敢えて言葉にすると、

ステータスに限らず素敵な人もいれば合わない人もいる。

 


あと、日頃の行いが願いに直結しているわけでもたぶんない。割とそこは偶然な部分も大きいと思う。

極論どんなに性格が悪くても誰かを裏切っても成功する人はするし、幸せになることはできると思うよ。

そういう意味ではどんなに夢を叶えても品行方正で人から称賛されるまちがいの少ない生き方をしても幸せを感じられない人もいるかもしれないし、逆にまちがいを少なくすることに生きがいを感じるから刺激や承認はいらない人もいるだろうし、人といると疲れるから程良く距離を保ちたい人もいるだろうし、側から見たらなんにも叶えてなさそうでもめちゃくちゃ幸せを感じている人もいると思う。たぶんそれは私もそうで。あ、私は最後の例ですよもちろん。これは自虐に入るのかな。まあいいか。まちがいが少ない生き方はたぶん大好きだけど、ちゃんとできている自信もないしね。

 


そう、理解はされづらいこともあるかもしれないし、世の中に当てはめたら私は全然幸せに見えないのだろうなあとたまに考える。強がっちゃって〜、意地張らなくてもいいんだよ〜など。

でも私、「いま」も好きなんだよなあ。

嘘ではなく、むしろ言ってはいけないのかもとほんのり思うが

こっそりと誇張なく、けっこう好きだ。

 


過去の情緒がめちゃくちゃなほど頑張っていた自分も好きだし、当時の文章を見ると何物にも代え難い体験を言葉に残していたのは本当に「いいこと」だったと思うけれど、今の穏やかさも気に入っている。

 


ただ、そういう「周囲からどう思われようと楽しいよ〜」的なポジティブ話もあまり公にするつもりもないのですよね。

この生き方を推奨しているわけでもないし、時代なんです!と生きやすさを主張したいわけでもない。自分はラクだけど大して世の中に貢献できていないのでは?と感じると申し訳ないと思っちゃうから、声を大きくしてマイノリティ寄りの権利を主張するよりは普通に淡々と日常を頑張って少しでも社会に貢献できる部分を増やす(税金など)ほうがいいのではという考えがあったりします。ああこれもまた間接的に何かを批判していることになるのかな。そういうつもりもないのだけれど難しいな…もし嫌な気分になった方がいたらごめんね…

 

私は比較的人に恵まれているのとラッキーでここまで来られたし、楽観的な見た目とキャラクターに助けられている部分もかなり大きいだろうと思っている。あとみんな優しいし頭がいいから傷つくことが少ないのも大きい。とても居心地のいい場所、ふかふかのハンモックやクッションのような世界ばかりに居させてもらって。

もちろんいつかは何かが変化する、していくだろうけれど年々生きやすくなってしまっているのは確かです。こんな事例もあるのだなあという、本当にただのイチ事例ですね。でも自分の想いを書き残すことには意味がある気がしたので、残しておくね。

 

 

って話を誕生日が来たらまとめたいなあと下書きしていたら既にまあまあの文量に。

誕生日まであと1ヶ月もないぞ!その前にクリスマスお正月!楽しみなことがたくさん。

みんないつも本当にありがとう。2023年も2024年もよろしくお願いしたい。

 

あと、みんな今年も本当にお疲れさま。

きっと誰もが毎日頑張っていると思うから。いろんな環境で、いろんな体験して。いや、頑張っていなくても生きているだけですごいんだよね。いや、いま生きていない人もすごいんだけどもちろん。もっと言うと人ではなくてもすごいわけだし(言葉のあやの弁解がエンドレス)。

なのでもちろんいま頑張っていなくてもぜんぜんオッケー。その場合は一緒に休みましょ。

 


これまで将来の夢とかキャリアプランとか大して持たずに来たけど─正確に言えばアトピー快方普通の肌になりたい以外の目標や夢がなかったので普通の肌に近づけた以降は余生ボーナス感覚はあるのだけれど、ある人と話して確信を強めたことがある。

私、まだ遠い未来、70代80代90代(長生き家系なので一応視野に)になれた頃の夢なら割と明確にあるわ。

 

数年前から憧れのようにたまに口にしていて、今も全くビジョンが変わっていないという気づきに少し嬉しくなってしまった。

来年はその話もできたら、なんて思っています。

 


以上、突然のとりとめもない30代記念の言葉たちでした。


あの頃私はこう思っていた系の話、残念ながら自分でも忘れてしまうことがある。

でもこうして文字に残しておけばね。またそこに、いつでも戻れる。

乾燥の罪(2022/10/17)

先日クリニックで乾燥を指摘された。

それも、たぶんだいたいの人が普通に想像する5倍ぐらいの強さで尋問、いや指摘された。

 

「…乾燥しやすいですか?」

「あ、そうですねえ(もとがアトピーですし)」

「…なんのクリームつけてますか?」

「ええと、敏感肌用のですけども(ブランド名もということ?)」

「…どんなテクスチャーですか?」

「どちらかと言うとサラッとはしていますが…(けっこう掘り下げるな…)」

「(食い気味に)それじゃ足りないです!!もっとこっくりしたものをつけてください!ワセリンも塗ったほうがいいです…」

「あ、はい…」

「かなり乾燥しているので保湿をもっとしていただいたほうが…表面が硬いと反応しにくくなりますから。色素沈着も起こさないように。保湿をして効果を得やすくすれば、費用をかけてやる意味というのも出てくるかなと…」

※私の美容事情にあまり興味はないと思うので詳しくは省くが、最近になり医療脱毛デビューなどをしましてその目的で訪れた際の会話です

 

「なるほど……」

 

残念なことに自分の中では今は「昔よりぜんぜん乾燥していない」レベルなので、だから肌状態も悪くない前提でお試し施術を受けることにしたのだがそこまで指摘されるとは思っておらず驚いてしまった。

顔の乾燥は確かに悩みだけれど、体もそこまでとは…!

痒みもなくて炎症もないように見える今の肌でもまだまだなのかあ。

 

特に手足が気になるらしく、その後も「ここも特にガサガサしていて」だったり「肌質的にもう少し出力を上げないと反応してこなさそうなので」(えっむしろ上げて大丈夫なの)など乾燥と施術に対しての向き合いかたがすごかった。

 

「敏感肌なのでそれもありますかね…」

と自分の肌に対して謎のフォローを添えたものの、

「敏感というか、とにかくただ乾燥している状態なので」

と無情な「手入れ不足」を指摘される。

しかし確かによく考えると体に関しては毎日朝晩しっかりクリームを塗っているわけではないかもしれない。

スプレー型の化粧水をバババとまんべんなくかけるだけでも体は動くから、そういえばクリームを塗り忘れた日だってあるかも…いやある…(本当にめちゃくちゃ乾燥しているときって皮膚を動かしづらいし、バリバリなほど皮膚が硬いときは一刻も早く保湿したくなるが今ってそれほどの状態ではないのよ。アトピー経験者は語る)

担当の方にはそのサボりがちなボディケアを見抜かれていたのかもしれない。

 

施術がすべて完了したあとも「とにかく保湿を!化粧水をつけてからがいいです。表面をやわらかくしたいです。そうすることでもっと反応してくれるので。ぜひ頑張ってみてください!ワセリンも重ねてくださいね!!」「質問はありますか?」と質問コーナーまで設けてかなり真剣にアドバイスしてくれた。

書き起こしてみると親身になってくれてありがたいなと気づけたが、その場ではなんだか自分がとてつもなく悪いことをしている気になりしょぼんとしてしまったかもしれない。もはや法に触れているのかというテンションで「それはダメです、絶対にダメです」と否定されたことって久しぶり、というかほとんどない。

乾燥は大敵。乾燥は悪。確かにきっとそうなのだ…法には触れてないけどね…

 

限界はあるかもしれないけれど、今より意識して保湿をしたら変わるよね、じゃあいっちょ実験してみますか、ってことで

買って満足したままだったチューブのワセリンや、使うのが勿体なくて飾っていたローラメルシエのバニラのボディクリームやイソップのピングレボディクリームを勢いよく使い始めた。

前段の化粧水は、なぜかなかなか「最後のちょっと」がなくならなくて終わりかけの状態が一生続きそうな顔用の化粧水たちをバシャバシャとふんだんに使うことにした。 #使い切りコスメ も増えて一石二鳥だ。

終わりかけの化粧水が本当に終わったら、ドラッグストアで少しお安めの化粧水を買ってこようかな。

大人の保湿計画、ゆるくスタート。

 

わけなき休暇(ロンバケ)

特別な理由はないのだけれど、年末年始あたりから書くことや残すことや見ること話すこと、

それってつまり割とあらゆることから少し距離を置いて 俯瞰している。

だいぶ前に流行った?SNSデトックス的なものに近いだろうか。

 

職業柄、デトックスばかりしているわけにもいかないといえばもちろんそうだが

不思議なことに「仕事としてなら」活動するのはなんら問題ない。

プライベートではなるべく、なるべく空白の、なんにもない時間を作って過ごしたい時期なのかもしれない。

 

書かないと、残さないと、トレンドを追わないと

大袈裟に言うと生きた心地がしないほどの関係が

私と文字とインターネットであるはずなのに。

私の売りポイント、アイデンティティ、なくなっちゃうのでは?

なんて変な心配もとりあえずは置いておきたい。

 

いや、厳密に言うとなんにも残していないわけではないけどね。

投稿だって何本もしているし、一般的なアカウントの雰囲気よりはおそらく投稿しているし、長文だし、どこがデトックスだと突っ込みたい人もいるだろう。

でもこれ、実は大して誰も気づかないところで─休んでるんですよ。

やらないときは、なんにもやっていないんですよ。

まあ人が「何日SNSを更新していないか」「何日ログインしていないか(DMから見るとアクティブか分かるものもあるよね)」なんて

想いを寄せていたりビジネス的な理由がないと気づかないと思うけれど

うざいぐらいに連続投稿したと思えば数日放置、投稿はもちろんログインすらしない

もちろんその間、誰の動向も把握しない

なんてことを 最近は割としている。

そうしてそれでも当たり前のように日常はまわる。

 

「ずいぶんお久しぶりの投稿になってしまいました」のひとつ前の投稿が「5日前」とかで

いや本当はそこまで久しぶりでもないな、とインフルエンサーに対して思ったこともあるけれど

毎日投稿している人が数日タイムラインからいなくなればけっこう一大事なのは分かっている。

ただ自分の場合はどうかな。

以前事情があり1週間ほどインスタのストーリーすら一度も投稿できない週があったけれど、

それまでたくさんストーリーしていたし、改めて「しばらく更新できません」と言うか迷ったけれど

芸能人でもないのに恥ずかしいかもとやめてしまった。

もちろん何も言わずに1週間インスタから消えても、友人知人から「どうしたの?」的なメッセージは特に来なかったので

人はそこまで人のインターネット生息状況を気にしていないのかもとも思う。

 

ただ、毎日投稿している友人知人が1か月なんの音沙汰もなかったら、と考えたらやっぱりちょっと心配するかな。特にそのSNSでしか繋がっていない場合は。

バランスがむずかしい。

 

今後もしSNSの長期休暇、いや、SMAPファン的にはロングバケーションと言いたい、

SNSロンバケをとる場合は

誰に対しての宣言なのだろうという恥ずかしさをこらえて、しばらく休みます宣言の投稿をかませようと思う。

元気に生きているよと伝えるためにも。

 

そう、元気なんだよね。

SNSデトックスしたいとか、人とコミュニケーションをとることから距離を置いていますとか

どう考えても「疲れてる」とか「なにかあったの?」って感じだし、そう思われても無理はない。

しかしそういうわけでもないんだよな…

仕事でも遊びでも特に嫌なこともなく、楽しく穏やかな日々が中心なわけで…自分でもなぜなのかよく…??

 

理由もなく思考が休みたがっているときがある。

心が叫びたがってるんだ。的な語感だが

今はそれなのかもしれない。思考が休みたがってるんだ。

特に落ち込む出来事やつらいことがあったわけではなくても、なるべく頭の中をリセットしたい感覚。

「それまでの自分」ってものにあまり捉われなくない時期なのかな。定期的にこのような、わけもなく一時停止の状態になる大人です。大丈夫なのか。

 

まあきっとまた急に、書きたい残したい話したい時期がやってくる。ある日突然秘密主義の自分はいなくなり、またいろんなことをリアルタイムで更新したくなるかもしれない。

それまで迷惑をかけない程度に、ちょっと日々に余白をつくってリラックスしよう。ま、今でも充分リラックスしているか。

新しい年と歳

年が明けたら駅伝!白熱!

そして駅伝を観たら割とすぐに誕生日。

 

2022年、総括して楽しいことが多かったし

いまのこの歳もなんだか充実していたなあ。

闇につかまりすぎることもなく

気持ちも安定しているというか穏やかで。

避けて通れない悲しいこともあったけど

しっかりありがとうを言えた。

 

歳を重ねるってこんな感じなのかな。

気持ちが穏やかになっていく。

しあわせへの欲と自分の本質ってやつが

ちょうどよく、なんだか見えやすくなってくる。

 

次の歳の私もよろしくな!

 

23時52分頃から書いて

57分に投稿。どうしても今日中にね。

ではまた改めて。

核心ミルフィーユ

昔から、核心を人に言わないことが多すぎる。

楽しくどうでもいい話はぺらぺらとするのだけれど。

 

自分で解決しないといけないから、人に言わない。

それはもちろんあるし、

言わないし明かさないなら「におわせ」なんて絶対ないわけで、アイドルになれるかもしれないが

 

言うことで事実になるのを拒むというか。
なんというかね
そこに行きたくないんだわ。 

言えば「本当に悩んでいる」ことになってしまう、とでもいうのかな。

 

ふわふわしていたい。認めたくない。

大きい変化はなくていい。ゆるやかでいい。

でも少し新たな可能性の芽も育てていきたい。

なんなんだ、ゆっくりしていたら逃げるぞ魚は

でもそんな怠惰は大人になってもまだまだある。

 

 

そして時は2022年12月(全力疾走してきたよね)

どうにかしなければいけないとは思うが

未解決、決断保留。

そんなことが多すぎて
ああああーー!!と、喉の奥が痒く叫びたい感じになっている。

 

積み重なるとこうなるんだな。

 

大して悩んでいないことはネタにできても

(あくまで自分の中のものさし。私が大したことないと思った悩みをとても重要に捉えている人もいるかもしれない)

本当の悩みや弱みはだいたい身内にも言わずに終わらせてしまう。

 

長女なのも関係があるのだろうか。

仲の良いメンバーが偶然か必然か長男長女ばかりなのだが

私と似たタイプ、事後報告系が多かった。

そう、事後報告が多い。それもよくないんだけど、

そういう人もきっといるよね。

 

「いや、あんたかなり明かしてるほうだよ私生活」

「ストーリー更新頻度やば」

 

そう思った人もいるかもしれないが

いやいや、みんな(とは)と同じです。

あれでも載せられることしか載せていない。

 

 

なのに、いざ決断したり思い立ったら

すぐに動くし話すからさ。
自分の中でだけ話がつながっていて
初見だけど?初聞きだけど??
と相手がびっくりすることも、あるとかないとか。

 

まあでも、自分が思うより人は自分に興味ないから。昔から言われているじゃん。そうだよね。

 

 

ああ。喉の奥が痒い。

悩みの内容を言わずに「悩みがある」と口にするのはかまって系だと自覚しています。

なので日記に、こっそりと。

夢で巻き物、宮本浩次

今日(昨日?)、夢に宮本浩次が出演。

恐れ多くも宮本浩次と私が二人で並んで話しているシーンから始まる。

最近の彼はソロ活動の関係か全身黒スタイルではないときもあるため、この日も少しグレーのような焦げ茶色のようなチェック柄のジャケットにハットという装いをしていて素敵である。

なぜか宮本さんのある映像作品の衣装小物を私が─話の内容的に映画かドラマ。夢なのでね。まあ宮本浩次は過去にドラマ出演もしているしエレカシとしてはドキュメンタリー映画にも出演しているが、とにかくなぜか、何かの作品で使用した小物を一部私が用意した設定になっていた。

一般公募で募ったらしい。いろいろすごいな。

 


「あ、◯◯のときの小物ですが…実は私が送ったものでして。使っていただいたんですよ」

 

「はあー!(リアクションがいつもいい)そうだったんですか。どんな?」

 

「はい!えーと!……あれ…」

おいおいなんでだよ、自分から言っておいて私ド忘れしている設定なんだが。失礼すぎるだろ。

 

「そう、帽子とか」

 

「帽子。(噛みしめるように。宮本浩次はいつも全力だから)」

 

「(違う気もするが)あとは…ネクタイとか…?」

 

「ほおー」

 

「(まだ何か違う気がするが)あ!あとは

巻き物とかですね」

 

巻き物!?

 

「?(おかしいと思っていない)」

 

ここで宮本浩次の声が大きくなり、通行人も気づいてチラチラ見ている。

 

夢の中のみやじはメンバーとはしゃぎながらふいに見せるようなバンド少年の雰囲気でクシャッと笑いながら、でも絶対に正したいという意思を瞳に宿しながらこう言った。

 

「巻き物が衣装だなんてちょっとあなた、なんだか私までおかしいみたいじゃないですか!ちょっと!やめてくださいよ!!笑」

(そんな発言は絶対にしないけど口調としては宮本さんっぽいとこあるよなと起きてメモしながら笑ってしまう)

 

私「え?そうですか!?(黒いストールみたいなのだったはずなんだよな…そんなに変かな)」

 

そうなの、ワイ、巻き物をストールとかマフラーの意味で使っている。

首に巻くから巻き物。うん、そうだよね。

とりあえずおかしさが分からないまま教室に着いた。

(※なぜか学校設定。未だにたまにある。なんの学校かは分からない。著名な方も通う社会人学校か何かかもしれない)

 

室内に入っても宮本浩次はまだツボから抜け出せず「巻き物…それはおかしい」とかつぶやいている。

それに応じてクラスメイトも─彼のつぶやきは割と大きいので─「巻き物ってなにww」と気づき始める。

 

私、そんなに変なのか?わからない。困惑している。

 

そうしてなぜかひろゆきが─あ、クラスメイトにひろゆきまでいる設定でして(もうこのあたりで、いや最初からだけどめちゃくちゃな設定だ)。

 

「あ、ほらもうひろゆきが書いてるよ笑」

 

どうやらその日の流行語?バズったワード、変なワードみたいなのを黒板だか目立つボードに書くのがその学校お決まりの儀式らしく、しれっと白い文字で「巻き物」と記すひろゆき。気づいて笑う女子生徒。

ひろゆきが発信するとすぐに広まりそれが学校中のトレンドになるのだそう。妙に現実世界とのキャラをリンクさせてくるな。

 

そうか、面白さはわからないが巻き物をファッション用語として使うのはおかしいのだな(少なくともその夢の中では)。私は改めないといけないのかもしれない。

外の世界から学ぶことって、たくさんある。内に篭ってばかりの世間知らずではいけないんだ。

 

ただ、宮本さんがあんなにおかしく笑っていたのはちょっと素が見えて嬉しいとすら感じるけれど─ひろゆきはどういうことなのだろう。私はひろゆきと喋ったことが一度もないし、いじられるのは恥ずかしい。有名な人なのは知っているが彼のSNSや動向を調べたこともあまりなく、接点がまるでない。なぜ急にいじろうと思ったのか、いやまあ私が変で悪目立ちしていたのかもだけど、私のことなどむしろ苦手なタイプだと思うのだがいじって大丈夫?今度改めて話しかけて聞いてみようかな。え、なにこの感情。

 

 

ここで目が覚めた。

 


いやマジでなんの夢。

謎すぎて起きてすぐiPhoneにメモしてしまった。

(なんで最後にちょっとひろゆきのほうを気にしているんだよ)

 


で、念のため検索して笑ってしまった。

 

 

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(キャプが6時ですね。そう、早起きしてしまった)

 

そうだよな。📜こっちだな。

でもプライベートでも、夢じゃなくても

マフラー的な意味で🧣巻き物使ってるなあ……?

ぜんぜん一般的に通じると思っていましたが、夢とGoogleの反応からすると通じないこともあるんだろうな…?

 

画像検索コーナーでもどこまでも紙の巻き物とか掛け軸しか出てこないし…あとはときどきお寿司系か。

そうだったんだ…宮本さんはどっちの巻き物を想像して笑ったんだろうね。古書が好きな方でもあるからたぶん前者だろうけど、でもその場合、よく考えたら宮本浩次×本当の巻き物(書物)は絵になるし、似合うよな。

作品によっては本物の巻き物を手配してもいいと思う。なんの話。

 

あ、でもまって書物の画像に気を取られていたけど検索結果のほうは割と前半でストールとかスヌードとかマフラーとかの巻き物もちゃんと出てくるじゃん!ツイートでもわずかに出てきた!よかった!がんばろう少数派かもしれないけど!

 

 

夢って不思議。自分の想像と妄想と現実の何らかの記憶がミックスされてトンデモストーリーが出来上がることがあるよね。

印象に残った夢は起きてすぐにメモすることが多いです。みんなもやってみてね!

 

しかし宮本浩次さんから笑いながら指摘されるってなんなんだ。めっちゃいいシチュエーションではないか。

今日は楽しい日になるかもしれない。

気管支炎で喉痛いけど。

 

そう、いま気管支炎を少しこじらせてかれこれ数日間じっとしています。

今日もずっと家でゆっくり本でも読んで過ごすよ。皆さまそれぞれの祝日を。

全人類モテで似合わせカットでお願いします(難題)

さまざまな著名人の髪を切っているらしい美容師の方のSNSを何気なく見たところ、驚くほど見事にどのスタイルも好みではなかった。

むしろ「カットしました〜!」と報告している著名人の写真を見て「なぜだろう、元々素敵な方だがきっともっと似合うスタイルがあるはずだ」と思った方々がほぼその方に切っていただいているようで、逆にすごいヒット率だった。

でも、もちろん腕はめちゃくちゃいいのだろう。

動画の手さばきなどを見ると熟練というか、これぞプロとしか言いようがない。

著名人たちもその技術に感動し、毎回感謝を述べている。

 

きっとただ単に私の好みから離れているだけなのだ。と思いつつも少し検索をしてみたら兼ねてより賛否両論のある方のようで私のような印象を抱いた人もどうやらいるらしいが、もちろんそうじゃない人もたくさんいる。

その証拠にこんな感じの口コミも見つけた。(まるまるコピペではない。念のため特定されないように)

 

「この髪型素敵!と思ったら必ず◯◯さんが担当されているんですよね♡」

 

完全に真逆。そりゃそうだ。そこは「私の好み」にハマりそうなサービスを提供してくれるサロンや美容師さんではないというだけ。

参考事例が多いとカット後に「あれ、こんなはずでは」とモヤモヤするミスマッチも防げるし、嫌味ではなく本当にありがたい。

 

それに、生きていれば好みも変化するかもしれない。いつの日か私がその方がクリエイトする髪型という作品を「まさに今私が求めていたもの!」とキラキラとした気持ちで保存して(SNS投稿が前提かよ)ホットペッパービューティーでサロンを予約しようと検索するも、しかしそこはスターがたくさん訪れるような場所だからかインターネットで新規の予約を受けていなかったりするのだろうな。あるいは指名料2000円+施術はカットのみで1万円を超えるのだろう。

 

そもそも誰にでもウケるような、全員にいいねと思われるようなサービスを提供することってほぼ不可能に近いのではないだろうか。

ヘアサロンだっていわゆる全方位モテ、全人類モテの髪型を求めている人ばかりではないから

今回のように「私は見事に好みじゃないけど、真逆のファンもたくさんいる」のは普通であり健全とも言える。

客観的なモテだけではなく自分モテも含めて、全人類モテ専用のサロンなんてたぶんない。いやむしろそういう髪型ってどんなのだ?

 

尖った髪型が好きな人もいればヨシンモリがやりたい人もいて、おくれ毛じゃなくて「もみれ毛」(顔まわりカット)にこだわりたい人もいて、ミニマムなショートが似合う人もいれば黒髪ロングが似合う人もいる。

 

そういえば「似合わせカット」という言葉を聞くようになって久しいが、あれってどういうことなのだろうか。けっこうとくべつなカットなのだろうか。似合わせる以外のカットがあったら悲しいが、きっとそういうことじゃないのだろう。言葉の揚げ足をとるみたいなことはやめたい。

※簡易検索したら知恵袋の回答で好きなのがあったので貼っておく。なんだか言い切りに元気が出る!

「似合わせカット」を依頼すれば必ず似合うというものではありませんし、「似合わせ」と書いてなくても上手い美容師はキッチリ似合わせます。 「似合わせ」の文字は無視して大丈夫です。

 

世の中にはさまざまな美容室や歯医者があふれているから、その中で自分に合う店舗を探せばいいだけなのだが

まあ、それが星の数を数えるよりもしかしたら難しいような気もしている。

トライアンドエラーは当たり前の世界(と私は思っている)。しかもそれってテスト期間なんてものはなく毎回本番なんですよ。体を張ってお金をかけてエラーをする可能性のある刺激的な生活。

 

幸い今は数年前からカラーからカットからトリートメントから、髪のなにもかもを一任しているほど好みに仕上げてくださる美容師さんのいるサロンに定期的にお世話になっているので

サロン選びの悩みからはいったん解放されているが

その美容師さんも年々予約が取りづらくなるほどの人気で、インフルエンサーや著名人の投稿でも実はちょくちょく見かけている。

きっとこれからもお願いするけれど、予約がしばらく埋まっていて行ける日がないかも…なんてことにならないとも言えないので、かかりつけサロンをもう1つ作っていたほうがいいのだろうかとも考えたりする。ただ、そういうふうにカジュアルにサロンを行き来してもいいものなのかは自信がない。

別のサロンに駆け込んだ翌月いつものサロンに行ったら担当さんは「今日はどうしますか〜」ってにこやかにさりげなく私の髪の状態を見つつも「ああ、別のサロンでやってもらったんだな」って絶対気づいちゃうじゃんそれって浮気してきたみたいな後ろめたさが生まれそうでなかなか勇気が出ないのが本音だけれど(ぜえはあ息継ぎしないと)美容師さん的には案外気にしないものなのだろうか。いやでもそれも個人差あるだろうな。

 

と、急に饒舌になったけれども

そうわたくし髪型や髪色を変えるのもヘアサロンに行くのも大好き。髪についていくらでも語れそう。今は気まぐれで伸ばしているので長さはもうしばらく変えていないけれど、髪色は暖色系からオリーブベージュっぽく更新。今回はインナーカラーにイエローを入れました。はい、自分の好みがそもそも全人類モテ対応ではないと思われます。でも好き。

ロングに飽きたらまたボブにするのか、今は好みじゃない髪型が好きになったりもするのか、自分でもわからないけれど ひとつ言えるのは髪型が自分好みだと生活が楽しいし髪の状態がいいと気持ちがいい。これからもそのときどきの自分や時代に合う髪型を楽しみたいなあ。

髪を扱うプロたちは技術を常に磨きながら顧客のどんな心変わりも受け止めて、いつだってどっしり構えて待っていてくれる。似合わせ髪のプロと、この髪と、生きていく。だから心配していない、「髪型については」。生活のほかの心配なんて、そりゃあいろいろあるけどね!