ただの殴り書き(からの気づき)、10月の初めの気持ち
春以降からところどころ記憶が曖昧というか
ずっと突っ走っている。
いっぱいいっぱいなこともあるから
ひとりで集中したいこともあるから
人と会うことも少なくなったし
ごはんをゆっくり食べることも
何を食べようか選ぶことも
食べに行くことも少なくなった気がする。
気がする、ではなく事実なんだけど
気のせいにしたくてそうしている。
旅行はもちろんのこと、いろいろなお店にあまり行けていない。気がする。
しばらく顔を出せていない。気がする。
「何もしたくない」と描かれたステッカーを2台目のスマホに入れている。
それが本音。
誤解なきようにすると、
今も基本的に「やっていること」は楽しい。
仕事にも人にも恵まれている。
置かれた環境はこれ以上ないほどありがたい。
貴重な経験や身に余ることもたくさん。
ただ、忙しい。ずっとやることに追われている。
それがきつい。時に、とてもつらい。
好きなことに少しでも関われているのが嬉しいし、もっと時間があればもっといろんな形で貢献したいと思うのに、やりたいことも浮かんでくるのに
忙しくて寝たい、が勝ってしまうこともある。
それで行き着いた思考とお守りのような願望が「何もしたくない」というわけだ。
あー、忙しい
私が忙しいはずなんてないのに
なぜか忙しい。
この忙しなさはいつ終わるのだろう?
私はいつまとまった休みを取れるのだろう?
たぶんタスク量というより適性や能力の問題なのではないかなとたまに、いや、しばしば思う。
騙し騙し課題を乗り越えて生き延びている そんな感じ。
自分の力は微々たるものなのに優秀な人たちに助けられて生き延びている そういう感じ。
それもまた ちょっと。
何もしたくないはずなのに、休めるはずの土日でもいろいろと追いつかなくて常にいろんなことを考えているし(仕事以外でもやらなければいけないことや、些細なこと、本当は楽しいことも)
休めるときに休んでねと言われても年内のさまざまなスケジュールや学びをこなそうとすると休める見込みがないし
ほら、無理してなんとか応えようとしちゃってる
夏休みも結局ほぼ取り損ねたまま
季節は移り変わる。
とはいえ私ひとりが休んだとしても
本当はなんとかなることも知っている。
申し訳なさとか勿体ないとか飛び越えて
行動に移せる人を私は尊敬するし、羨むし、
ちょっとだけ「なんでだよ」と思う
まだまだ一緒にやりたかったよ、とかね。
言霊として
もう少し無理せず身の丈や気持ちに合った生活を
送れたらなあと思っている。
たとえ私には勿体ないほど良い環境でも
ずっと無理をしていたら良いものも良いと思える判断力が鈍ってしまうかもしれない。
惰性で作り上げてしまうかもしれない。
本当に望んでいる暮らしは
たぶんもう少し時間が経ってみないと分からないけど
(今でも分からないのならいったいいつ分かるのか)
守りたいものならもう分かってる。
この手にあるものならたくさんあるから
それを守っていきたい、もっと大切に
向き合う時間を増やしていきたい。
言霊として
来年は今よりもっと心から
何もかも、いやそれは言い過ぎだな
「さまざまなこと」が楽しいと思えているし
たとえたまに忙しくても、
そう、忙しくてもいきいきしている。
自分が決めて、そうするんだと思えたことでいきいきとしている。
そうだったらいいな。いや、そうしたい。そうなる。そうするぞ。と言ってみる。
忙しいことが嫌というより、「やらされている」とネガな感情を抱いてしまう自分が嫌なだけなのかもしれないから。
自分が望んだことなら
もっと強く清くあれると思う。
野心や明確な目標も そもそもそこまでなかったのに
疲れると誤解しそうになる
こんな忙しい生活がしたかったわけじゃないってさ。
じゃあどんな生活を描いていたのかってね
なかったのにさ、絶対にこうなりたかったというものが
健康面以外では。
今がたとえ疲れていたって
望んでいないことばかりでも
ないだろうに。
あれからの私はボーナスタイムみたいなものなのに。
⭐︎
とは言えどんなに今、もがいていても
過去をやり直したいとは思わないんだよな。
そこは一貫している。
なにかが少しでも違えば今ここにいる大切な存在や築いてきたものに会えなかったかもしれないと思うと
やり直したくない。
考えるのも怖いことだ。
そうきっぱりと思えるだけでも
恐ろしいぐらい幸せで 現時点での後悔はないというのがまたね。
ただあくまで現時点、これからは分からない。
忙しさにかまけて疎かにして後悔することがあっては悲しいし、特に健康や人間関係。
より一層自分や周りを大切にしていきたい。
していくよ。
だいたい好きで囲まれていることを忘れちゃいけない。
⭐︎
なんていうかね、そうだ
本来の自分を取り戻すキャンペーンをしよう。
また続き、日記に書くよ。
本当に欲しかったものってなんですかね
私がいちばん欲しかったものってなんだろう?
という言葉が先日の朝方3:46に浮かんだのですが
大好きなうちの三毛猫がまだケージの中の黄色いもふもふでうとうとしているのを見ながら(21時から寝ている規則正しい猫)階段をのぼって部屋に入り、
さて寝るかと思ったときにふと
なんだ?
そもそもその私っていつの私?
いつ時点の自分が欲しかったものの話?
小さい頃に遡ればクラスでの人気や居場所が欲しかった。
友達が欲しかったし(特にある時期までうまく周囲に馴染めないタイプだった)
劇団に入っていた頃は合格の知らせが欲しかったし、
セリフのある役やレギュラーを求めたりもした。
少し成長すると綺麗な肌や健康な体が欲しくなった。
友達もまた、いなくなりそうだったので欲しくなったりした。
大人になるとさまざまな場所で素敵な友達がたくさんできて
友達が欲しいと強く思うことはなくなった。
でも仕事ではいっぱいいっぱいで、
優秀で迷惑をかけない頭脳が欲しくなったし
ゆっくりする時間も欲しくなった。
(これは今も、未だにある感情)
割と早く社会に出ていたのもあって
恋愛をしても、私は残業相手はまだ学生なんてこともあり
すれ違ってばかりだった。
ある時期は本当に好きな人、
好きになれる人が欲しかったし
好きになってくれる人が欲しかった。
お金はまあ正直少しはいつも欲しいけど
そこまで固執はしていない(それはよくないことでもある)。
劇団時代は大人になっても普通に芸能の仕事を続けていると思っていたから
そこで売れたら(続けたらまたは運があれば簡単に売れると思っていた)両親に大きな家を買おうと、
それでみんな何不自由なく暮らすのだ、だから心配いらないと当たり前のように思っていた。
そう考えると、たくさんお金があったとしても
自分のために、とは考えてなかったな。
自分のためになんて、欲しいもの(ファッション系)をちょっと買ったら終わりかもしれない。
幸せ?幸せが欲しい?
それはあまりにも概念すぎてざっくりで
あまり願ったことはない。
幸せを感じられる心?
ああ、それなら欲しいいつだって。
というか今もそれはある。
俗に言う、言われる、並べられがちなことについては?
地位がほしい、成功がほしい、家庭がほしい、大きな家が(自分のために)ほしい、
……そういうことを長く継続して思ったことがあったか?
うーんうーん もちろんあればすばらしいことで
あったら嫌という意味ではもちろんない。
ピンポイントで願ったこと、それが人生において不可欠だと考えて「この我が人生においていちばん欲しい」と思ったことがあったかといえば
現時点ではほぼないことになるのだろうけども
でもみんなそうだよねきっと。
どれかひとつの出来事やモノがピンポイントの人生目標で欲しいものではなく
もはや複合的すぎて概念として、
積み重なった事実と実感で「いま幸せだな」と思える瞬間が欲しい。
そういうことだよ、な?
達成感、充実感もそうかも。
満たされる気持ちが欲しい?
人生の長い時間で。
それもあるか。
経験が欲しい?
それもありそう。
切ない出来事も振り返れば貴重な経験だったりする。
まあなんでもすべてが良い経験、とは思わないけど。
辛いことや本当に無理なことはやらなくていいなら、経験しなくても良い環境ならやらなくていいと思うし。
そうは言ってもやっぱり健康な心身。これは何より大事では。
そして素敵な過去と思い出。これもあればあるだけ糧になるように思う。
その上で今、常に今の充実や穏やかさが欲しい…
過去だけじゃなく、やっぱり今も欲しいんです…
あ、いま脳内会議が繰り広げられていて
いろんな役割のいろんな発言を記述しているのですけど
あるある、全部あるよね。
絞れないなあ。
待てよ、夢や魔法みたいなことを並べていいのであれば
動物と喋れる世界は欲しいし動物が楽しく暮らせる世の中を求め続けるよ私は。
このあたりは自分のそばに犬猫がいるから生まれた気持ちで
幼い頃から持ち合わせていたものではないかもしれない。
欲しいもの、自分以外で大切に想う相手
そしてその存在の幸せ。
ああー、偽善と思われるかもしれないが
やっぱり確実にそれもある。私も犬猫や人間で大切に想える存在がいる。
今より若い時代の「好きな人が欲しい」「好きになってくれる人が欲しい」の類とは少し違う大切。
毎日を過ごす中で大切なものやこと、存在、
たいせつを見つけてその対象の幸せを守りたい、つくりたいと思う…
もしかして人生のテーマもそれ?
エレカシが「愛する人のためのこの命だってことに気づいたのさ」って言ってたけど
そういうこと?
⭐︎
瞬間的な欲しいならもちろんたくさんあるけれど
人生において、と考えると難しいねえ改めて。
⭐︎
自分自身のことについてなら
言葉は欲しいな。
結局自分の人生でかなり上位を占めているかもしれない願い、
想いを言葉にする力と文章を書ける力はいつでもいつまでもずーっと欲しい。
誰かの生活や地位を羨んだことは少ないけれど、
誰かの文才に憧れたり嫉妬したり尊敬したことは
数えきれないほどあるからね。
文才のある、読みやすい文章を書く人のことはすぐ好きになっちゃう(変な意味ではありません)し。
作家の方に限らず、ネットで見つけたコメントひとつでも才能を感じると「いいなあ」と思う。
結局それかー。文章かー。
でも文章に救われて文章に逃げるのに、本当に心の底から逃げたいときはひとつも書けなくなるような人間だから
人生通してもっと向き合わないとダメだな、改めて。
⭐︎
ごめん、寝る前に思ったことを書いただけなので
オチはないんだけどさ。
この寝る前の短いふわふわした時間じゃあ
結局いちばんほしいものはわからなかった。
ただ少し見えたこともあるのかもね。
ディテールなのか芯なのか
まあそもそも「いちばん」を決める必要も
ないようにも思ってきたけど
少なくとも現時点では
地位でも肩書きでもなく
言葉が欲しいとか心が欲しいとか
大切な存在の幸せが欲しいとか
ぜんぶ大体、自分の内側にあって
内側から広がっていくものばかりだなと。
なんとなく、それがちょっと嬉しいな
安心した。
(なぜ?)
最近生活にいっぱいいっぱいで
本音を綴ったり向き合うことを避けていたので
自分史を旅する感覚で
まだまだ続けよう、私の本音探しを。
答えられる?
今この時点で
自分は何が欲しかったのかって
そしてそれは叶っているのかって
まったく同じか、少し形を変えているのかって。
普通も時代もそうじゃなくても。(30代で思うこと、その一部)
SNSやブログで詳細までは語らないですが、たぶん生き方としてはそれほどマジョリティ側ではない気がしています。あくまでもこれまではそうかもしれないしこれからもそうかもしれないし。
自分が特別だと言いたいわけでもなく、はたまたないものを数えて自虐ぶりたいわけでもなく、淡々とそうなんだよなあという感じ。
今はどんな生き方も選べる時代とか時代は変わったとか、そんな話もありますがあまり公に「時代は変わった、だから私を認めておくれよ」とオラオラするつもりもない。詳しくは後述。
正直自分の根本は昔から変わっていないのである意味時代が勝手に追いついてくれているわけで ありがたい話ですよ全く。ほんとになんかごめんだよ…とすら思う。生きやすく「なってしまった」。そう思ってすらいる。
私の友達や周囲には既婚独身育児独立出世街道爆進するしないなどなどさまざまなステータスの方がいますが、◯◯だから素晴らしい、◯◯だからちょっとね(◯◯にはステータスや環境が入ります)と括ったことも─これは逆に相手への敬意が感じられない?良くない可能性もあるかもしれないが正直肩書きで括ったことはないと思う。好きな人たちのことはどんなステータスでも好き。
だからたとえば知り合いがこれ以上の上がないほど大出世しても「もちろんおめでとうだしすごいけど、最初からしごできだと思っていたので特に驚きはなく…」という気持ちで偉い偉くない関係なくカジュアルに接してしまうのである。これもまた敬意が見えづらい云々でいいことではないのかもしれないが、それで成立している関係性もあるっちゃあ、ある。そしてもちろん敬意はあるし、肩書きで括ったことはないが私の周囲には優秀な人や人間性が素敵な人が多いから勝手にどんどん道を切り拓いたり出世していくのでそろそろ私がパワースポットな可能性もあるし(?)、その「人を見る目」ってものを別の分野で生かしたり自分を顧みてステキナワタシになれるための材料としても生かしたらいいのにと思う。なんの話だっけ。
自分が経験したことのない世界を経験している人のことはもれなく尊敬しているし、それ以外の人になんの感情も生まれないなんてわけもない。
もし自分と全く同じ境遇ならば仲間意識が生まれて嬉しいだろうし、とにかく人を、それぞれひとりの人として見たいと思っている。バックグラウンドはあまり関係なしに(ただ、肩書き含めてその人の持っている長所や努力や才能だとも思うのでバックグラウンドが「全く関係ない」とは言わない。このバランス難しいね)。
自撮りのプロだし私が私が、の投稿や会話などから私を承認欲求の塊、自己肯定の鬼と捉えている方もいるかもしれないが自分に自信は昔からずっとない。
というか、ないからこそ自信が持てそうな部分にフォーカスして私を見て、という想いに到達しているのかもしれないな。
とにかくある部分の自己肯定感はずーっと低いままだし自分のことは別に自虐してもいいのだが、私はそれも特にしていない。どうせ◯◯だからさ〜、もう年齢もさ〜などなどもあまり口にしたこともないしぶっちゃけそこまで思っていない。これから思うのかもしれないし自分は甘ったれだなとも感じて反省こそするものの、なんだかいつだって切実さが欠けている。
なぜか?
単に楽観的というのもあるが、いちばんはただの私のイチ事例で間接的に他の人のことまで否定したくないから。
どうせ◯◯だからさ〜、性格に問題があるからさ〜、などなど公に発言をしてしまうと、「たまたま同じ境遇や年代」なだけなのに同じ環境に身を置く方々をまとめて批判していることになるなあと思うからだ。それは嫌だなあと。
私のことはどう言ってくれてもいいが(いや、ちょっとはマイルドがいいかな突然鋭利な言葉が顔の見えない状態で届くことに慣れていない)、
同じ境遇であろうあの人の人間性に問題があるなんて、思ったこともないぞ。など。
みんな言わなくても分かっているとは思うけど敢えて言葉にすると、
ステータスに限らず素敵な人もいれば合わない人もいる。
あと、日頃の行いが願いに直結しているわけでもたぶんない。割とそこは偶然な部分も大きいと思う。
極論どんなに性格が悪くても誰かを裏切っても成功する人はするし、幸せになることはできると思うよ。
そういう意味ではどんなに夢を叶えても品行方正で人から称賛されるまちがいの少ない生き方をしても幸せを感じられない人もいるかもしれないし、逆にまちがいを少なくすることに生きがいを感じるから刺激や承認はいらない人もいるだろうし、人といると疲れるから程良く距離を保ちたい人もいるだろうし、側から見たらなんにも叶えてなさそうでもめちゃくちゃ幸せを感じている人もいると思う。たぶんそれは私もそうで。あ、私は最後の例ですよもちろん。これは自虐に入るのかな。まあいいか。まちがいが少ない生き方はたぶん大好きだけど、ちゃんとできている自信もないしね。
そう、理解はされづらいこともあるかもしれないし、世の中に当てはめたら私は全然幸せに見えないのだろうなあとたまに考える。強がっちゃって〜、意地張らなくてもいいんだよ〜など。
でも私、「いま」も好きなんだよなあ。
嘘ではなく、むしろ言ってはいけないのかもとほんのり思うが
こっそりと誇張なく、けっこう好きだ。
過去の情緒がめちゃくちゃなほど頑張っていた自分も好きだし、当時の文章を見ると何物にも代え難い体験を言葉に残していたのは本当に「いいこと」だったと思うけれど、今の穏やかさも気に入っている。
ただ、そういう「周囲からどう思われようと楽しいよ〜」的なポジティブ話もあまり公にするつもりもないのですよね。
この生き方を推奨しているわけでもないし、時代なんです!と生きやすさを主張したいわけでもない。自分はラクだけど大して世の中に貢献できていないのでは?と感じると申し訳ないと思っちゃうから、声を大きくしてマイノリティ寄りの権利を主張するよりは普通に淡々と日常を頑張って少しでも社会に貢献できる部分を増やす(税金など)ほうがいいのではという考えがあったりします。ああこれもまた間接的に何かを批判していることになるのかな。そういうつもりもないのだけれど難しいな…もし嫌な気分になった方がいたらごめんね…
私は比較的人に恵まれているのとラッキーでここまで来られたし、楽観的な見た目とキャラクターに助けられている部分もかなり大きいだろうと思っている。あとみんな優しいし頭がいいから傷つくことが少ないのも大きい。とても居心地のいい場所、ふかふかのハンモックやクッションのような世界ばかりに居させてもらって。
もちろんいつかは何かが変化する、していくだろうけれど年々生きやすくなってしまっているのは確かです。こんな事例もあるのだなあという、本当にただのイチ事例ですね。でも自分の想いを書き残すことには意味がある気がしたので、残しておくね。
って話を誕生日が来たらまとめたいなあと下書きしていたら既にまあまあの文量に。
誕生日まであと1ヶ月もないぞ!その前にクリスマスお正月!楽しみなことがたくさん。
みんないつも本当にありがとう。2023年も2024年もよろしくお願いしたい。
あと、みんな今年も本当にお疲れさま。
きっと誰もが毎日頑張っていると思うから。いろんな環境で、いろんな体験して。いや、頑張っていなくても生きているだけですごいんだよね。いや、いま生きていない人もすごいんだけどもちろん。もっと言うと人ではなくてもすごいわけだし(言葉のあやの弁解がエンドレス)。
なのでもちろんいま頑張っていなくてもぜんぜんオッケー。その場合は一緒に休みましょ。
これまで将来の夢とかキャリアプランとか大して持たずに来たけど─正確に言えばアトピー快方普通の肌になりたい以外の目標や夢がなかったので普通の肌に近づけた以降は余生ボーナス感覚はあるのだけれど、ある人と話して確信を強めたことがある。
私、まだ遠い未来、70代80代90代(長生き家系なので一応視野に)になれた頃の夢なら割と明確にあるわ。
数年前から憧れのようにたまに口にしていて、今も全くビジョンが変わっていないという気づきに少し嬉しくなってしまった。
来年はその話もできたら、なんて思っています。
以上、突然のとりとめもない30代記念の言葉たちでした。
あの頃私はこう思っていた系の話、残念ながら自分でも忘れてしまうことがある。
でもこうして文字に残しておけばね。またそこに、いつでも戻れる。
乾燥の罪(2022/10/17)
先日クリニックで乾燥を指摘された。
それも、たぶんだいたいの人が普通に想像する5倍ぐらいの強さで尋問、いや指摘された。
「…乾燥しやすいですか?」
「あ、そうですねえ(もとがアトピーですし)」
「…なんのクリームつけてますか?」
「ええと、敏感肌用のですけども(ブランド名もということ?)」
「…どんなテクスチャーですか?」
「どちらかと言うとサラッとはしていますが…(けっこう掘り下げるな…)」
「(食い気味に)それじゃ足りないです!!もっとこっくりしたものをつけてください!ワセリンも塗ったほうがいいです…」
「あ、はい…」
「かなり乾燥しているので保湿をもっとしていただいたほうが…表面が硬いと反応しにくくなりますから。色素沈着も起こさないように。保湿をして効果を得やすくすれば、費用をかけてやる意味というのも出てくるかなと…」
※私の美容事情にあまり興味はないと思うので詳しくは省くが、最近になり医療脱毛デビューなどをしましてその目的で訪れた際の会話です
「なるほど……」
残念なことに自分の中では今は「昔よりぜんぜん乾燥していない」レベルなので、だから肌状態も悪くない前提でお試し施術を受けることにしたのだがそこまで指摘されるとは思っておらず驚いてしまった。
顔の乾燥は確かに悩みだけれど、体もそこまでとは…!
痒みもなくて炎症もないように見える今の肌でもまだまだなのかあ。
特に手足が気になるらしく、その後も「ここも特にガサガサしていて」だったり「肌質的にもう少し出力を上げないと反応してこなさそうなので」(えっむしろ上げて大丈夫なの)など乾燥と施術に対しての向き合いかたがすごかった。
「敏感肌なのでそれもありますかね…」
と自分の肌に対して謎のフォローを添えたものの、
「敏感というか、とにかくただ乾燥している状態なので」
と無情な「手入れ不足」を指摘される。
しかし確かによく考えると体に関しては毎日朝晩しっかりクリームを塗っているわけではないかもしれない。
スプレー型の化粧水をバババとまんべんなくかけるだけでも体は動くから、そういえばクリームを塗り忘れた日だってあるかも…いやある…(本当にめちゃくちゃ乾燥しているときって皮膚を動かしづらいし、バリバリなほど皮膚が硬いときは一刻も早く保湿したくなるが今ってそれほどの状態ではないのよ。アトピー経験者は語る)
担当の方にはそのサボりがちなボディケアを見抜かれていたのかもしれない。
施術がすべて完了したあとも「とにかく保湿を!化粧水をつけてからがいいです。表面をやわらかくしたいです。そうすることでもっと反応してくれるので。ぜひ頑張ってみてください!ワセリンも重ねてくださいね!!」「質問はありますか?」と質問コーナーまで設けてかなり真剣にアドバイスしてくれた。
書き起こしてみると親身になってくれてありがたいなと気づけたが、その場ではなんだか自分がとてつもなく悪いことをしている気になりしょぼんとしてしまったかもしれない。もはや法に触れているのかというテンションで「それはダメです、絶対にダメです」と否定されたことって久しぶり、というかほとんどない。
乾燥は大敵。乾燥は悪。確かにきっとそうなのだ…法には触れてないけどね…
限界はあるかもしれないけれど、今より意識して保湿をしたら変わるよね、じゃあいっちょ実験してみますか、ってことで
買って満足したままだったチューブのワセリンや、使うのが勿体なくて飾っていたローラメルシエのバニラのボディクリームやイソップのピングレボディクリームを勢いよく使い始めた。
前段の化粧水は、なぜかなかなか「最後のちょっと」がなくならなくて終わりかけの状態が一生続きそうな顔用の化粧水たちをバシャバシャとふんだんに使うことにした。 #使い切りコスメ も増えて一石二鳥だ。
終わりかけの化粧水が本当に終わったら、ドラッグストアで少しお安めの化粧水を買ってこようかな。
大人の保湿計画、ゆるくスタート。
わけなき休暇(ロンバケ)
特別な理由はないのだけれど、年末年始あたりから書くことや残すことや見ること話すこと、
それってつまり割とあらゆることから少し距離を置いて 俯瞰している。
だいぶ前に流行った?SNSデトックス的なものに近いだろうか。
職業柄、デトックスばかりしているわけにもいかないといえばもちろんそうだが
不思議なことに「仕事としてなら」活動するのはなんら問題ない。
プライベートではなるべく、なるべく空白の、なんにもない時間を作って過ごしたい時期なのかもしれない。
書かないと、残さないと、トレンドを追わないと
大袈裟に言うと生きた心地がしないほどの関係が
私と文字とインターネットであるはずなのに。
私の売りポイント、アイデンティティ、なくなっちゃうのでは?
なんて変な心配もとりあえずは置いておきたい。
いや、厳密に言うとなんにも残していないわけではないけどね。
投稿だって何本もしているし、一般的なアカウントの雰囲気よりはおそらく投稿しているし、長文だし、どこがデトックスだと突っ込みたい人もいるだろう。
でもこれ、実は大して誰も気づかないところで─休んでるんですよ。
やらないときは、なんにもやっていないんですよ。
まあ人が「何日SNSを更新していないか」「何日ログインしていないか(DMから見るとアクティブか分かるものもあるよね)」なんて
想いを寄せていたりビジネス的な理由がないと気づかないと思うけれど
うざいぐらいに連続投稿したと思えば数日放置、投稿はもちろんログインすらしない
もちろんその間、誰の動向も把握しない
なんてことを 最近は割としている。
そうしてそれでも当たり前のように日常はまわる。
「ずいぶんお久しぶりの投稿になってしまいました」のひとつ前の投稿が「5日前」とかで
いや本当はそこまで久しぶりでもないな、とインフルエンサーに対して思ったこともあるけれど
毎日投稿している人が数日タイムラインからいなくなればけっこう一大事なのは分かっている。
ただ自分の場合はどうかな。
以前事情があり1週間ほどインスタのストーリーすら一度も投稿できない週があったけれど、
それまでたくさんストーリーしていたし、改めて「しばらく更新できません」と言うか迷ったけれど
芸能人でもないのに恥ずかしいかもとやめてしまった。
もちろん何も言わずに1週間インスタから消えても、友人知人から「どうしたの?」的なメッセージは特に来なかったので
人はそこまで人のインターネット生息状況を気にしていないのかもとも思う。
ただ、毎日投稿している友人知人が1か月なんの音沙汰もなかったら、と考えたらやっぱりちょっと心配するかな。特にそのSNSでしか繋がっていない場合は。
バランスがむずかしい。
今後もしSNSの長期休暇、いや、SMAPファン的にはロングバケーションと言いたい、
誰に対しての宣言なのだろうという恥ずかしさをこらえて、しばらく休みます宣言の投稿をかませようと思う。
元気に生きているよと伝えるためにも。
そう、元気なんだよね。
SNSデトックスしたいとか、人とコミュニケーションをとることから距離を置いていますとか
どう考えても「疲れてる」とか「なにかあったの?」って感じだし、そう思われても無理はない。
しかしそういうわけでもないんだよな…
仕事でも遊びでも特に嫌なこともなく、楽しく穏やかな日々が中心なわけで…自分でもなぜなのかよく…??
理由もなく思考が休みたがっているときがある。
心が叫びたがってるんだ。的な語感だが
今はそれなのかもしれない。思考が休みたがってるんだ。
特に落ち込む出来事やつらいことがあったわけではなくても、なるべく頭の中をリセットしたい感覚。
「それまでの自分」ってものにあまり捉われなくない時期なのかな。定期的にこのような、わけもなく一時停止の状態になる大人です。大丈夫なのか。
まあきっとまた急に、書きたい残したい話したい時期がやってくる。ある日突然秘密主義の自分はいなくなり、またいろんなことをリアルタイムで更新したくなるかもしれない。
それまで迷惑をかけない程度に、ちょっと日々に余白をつくってリラックスしよう。ま、今でも充分リラックスしているか。
核心ミルフィーユ
昔から、核心を人に言わないことが多すぎる。
楽しくどうでもいい話はぺらぺらとするのだけれど。
自分で解決しないといけないから、人に言わない。
それはもちろんあるし、
言わないし明かさないなら「におわせ」なんて絶対ないわけで、アイドルになれるかもしれないが
言うことで事実になるのを拒むというか。
なんというかね
そこに行きたくないんだわ。
言えば「本当に悩んでいる」ことになってしまう、とでもいうのかな。
ふわふわしていたい。認めたくない。
大きい変化はなくていい。ゆるやかでいい。
でも少し新たな可能性の芽も育てていきたい。
なんなんだ、ゆっくりしていたら逃げるぞ魚は
でもそんな怠惰は大人になってもまだまだある。
そして時は2022年12月(全力疾走してきたよね)
どうにかしなければいけないとは思うが
未解決、決断保留。
そんなことが多すぎて
ああああーー!!と、喉の奥が痒く叫びたい感じになっている。
積み重なるとこうなるんだな。
大して悩んでいないことはネタにできても
(あくまで自分の中のものさし。私が大したことないと思った悩みをとても重要に捉えている人もいるかもしれない)
本当の悩みや弱みはだいたい身内にも言わずに終わらせてしまう。
長女なのも関係があるのだろうか。
仲の良いメンバーが偶然か必然か長男長女ばかりなのだが
私と似たタイプ、事後報告系が多かった。
そう、事後報告が多い。それもよくないんだけど、
そういう人もきっといるよね。
「いや、あんたかなり明かしてるほうだよ私生活」
「ストーリー更新頻度やば」
そう思った人もいるかもしれないが
いやいや、みんな(とは)と同じです。
あれでも載せられることしか載せていない。
なのに、いざ決断したり思い立ったら
すぐに動くし話すからさ。
自分の中でだけ話がつながっていて
初見だけど?初聞きだけど??
と相手がびっくりすることも、あるとかないとか。
まあでも、自分が思うより人は自分に興味ないから。昔から言われているじゃん。そうだよね。
ああ。喉の奥が痒い。
悩みの内容を言わずに「悩みがある」と口にするのはかまって系だと自覚しています。
なので日記に、こっそりと。