次の電車を待つ前に
混雑した駅のホームでした会話、なんだか迷いに対する答えみたいだなって思い出してる。
「混んでるね。まあ、次でもいいけど」
「次の電車も、その次だって同じだよ」
「そうかな。じゃあ、これに乗るよ」
「 」
まあラストは聞こえなかったんですけど、
発車のピピピにかき消されて。
大してバイバイも言わないまま乗り込んで、
私は何に急いでいた?
その時間帯はしばらくずっと混んでるよ。
次も、その次だって同じだから
いつ乗ってもいつ選んでも、同じでは?
あんまり迷って選びすぎても意味ないからね。
でも、もしかしたら違うかもしれないじゃん?
後から来た電車が偶然ものすごく空いているかもしれないし。
でも、帰る時間は遅くなるよ?
同じ確率で「後から来た電車のほうが混む可能性」もあるけどいいの?
ああ、これってなんのデジャヴか思い出したよ。
まだ見ぬ最新機種のガラケー携帯を待っていた「あの頃」だ。
『ケータイ待ち→まだ会っていない誰か』
ってタイトルのブログを、当時書いたんだ。
携帯電話を変えようか迷っているけれども
現状のラインナップでもまあこれがいいかな、という機種もあるけれども
「もう少し待てばもっといい機種が発表されるんじゃないか」と購入に踏み切れずにいる私に
母親が「もっといい人がいる、いい会社がある、みたいな雰囲気で語るなかれ」と突っ込むオチだったはず。
まだ会っていない、見ていないなにかと
本来比べなくていい、というか
比べようがないのにさ。
そんな簡単なことでも
ちょっと生きている時間と体験が増えるだけで
合理的に、データに基づいて、
まだ見ぬ芝生はより青く見え、
─いや、欲が出ているだけか。
気まぐれなのでいくつものブログやSNSアカウントを持っており
そしてふしぎなことに、書く文体と人格もプラットフォームによって多少変わる。
性格は多面だと思っていて、そのいろんな面を
いろんな場所でちょっとずつ出しているのかな。
ここは今は、感情のままというより…
や、まだ分からない。
ドラマチックになりすぎない、俯瞰した捉え方ができる場所も
また必要な場所だからね。
本当に自分勝手で、感情の整理がつくまで
たいてい口数が少なくなるし、人に連絡するのを忘れてしまう。
人としっかり話せない、話せなくなってしまう。
正確には、なにも喋らないわけではないのだけれど
頭の中は常にいろんな考えが巡っているのだけれど
言えない。
できるだけできるだけ結論を引き延ばして、
それまでなんてことない話題だけでごまかして、
なにを喋ったかなんて。
肝心なことはなにも話していないとき
私はきっとここに来る。
本当は思っていること、話したいこと、
やり直したいことがいっぱい。
でもきっと、いろんな人がそうだね。
昔の知り合いは「言語化する途中なんだね」
なーんて言ってくれたっけな。
そう捉えてくれるのが当たり前と思ってはいけないからさ、
ちょっとずつ 待たずに伝えていかなければね。
乗り込む電車は
偶然でも、いま選んだ場所だからね。