日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

次の電車を待つ前に

混雑した駅のホームでした会話、なんだか迷いに対する答えみたいだなって思い出してる。

 

「混んでるね。まあ、次でもいいけど」
「次の電車も、その次だって同じだよ」
「そうかな。じゃあ、これに乗るよ」

「      」

 

まあラストは聞こえなかったんですけど、

発車のピピピにかき消されて。

大してバイバイも言わないまま乗り込んで、

私は何に急いでいた?

 

その時間帯はしばらくずっと混んでるよ。

次も、その次だって同じだから

いつ乗ってもいつ選んでも、同じでは?

あんまり迷って選びすぎても意味ないからね。

 

でも、もしかしたら違うかもしれないじゃん?

後から来た電車が偶然ものすごく空いているかもしれないし。

 

でも、帰る時間は遅くなるよ?

同じ確率で「後から来た電車のほうが混む可能性」もあるけどいいの?

 

 

ああ、これってなんのデジャヴか思い出したよ。

まだ見ぬ最新機種のガラケー携帯を待っていた「あの頃」だ。

 

『ケータイ待ち→まだ会っていない誰か』

ってタイトルのブログを、当時書いたんだ。

携帯電話を変えようか迷っているけれども

現状のラインナップでもまあこれがいいかな、という機種もあるけれども

「もう少し待てばもっといい機種が発表されるんじゃないか」と購入に踏み切れずにいる私に

母親が「もっといい人がいる、いい会社がある、みたいな雰囲気で語るなかれ」と突っ込むオチだったはず。

 

 

まだ会っていない、見ていないなにかと

本来比べなくていい、というか

比べようがないのにさ。

そんな簡単なことでも

ちょっと生きている時間と体験が増えるだけで

合理的に、データに基づいて、

まだ見ぬ芝生はより青く見え、

─いや、欲が出ているだけか。

 

 

気まぐれなのでいくつものブログやSNSアカウントを持っており

そしてふしぎなことに、書く文体と人格もプラットフォームによって多少変わる。

性格は多面だと思っていて、そのいろんな面を

いろんな場所でちょっとずつ出しているのかな。

 

ここは今は、感情のままというより…

や、まだ分からない。

ドラマチックになりすぎない、俯瞰した捉え方ができる場所も

また必要な場所だからね。

 

本当に自分勝手で、感情の整理がつくまで

たいてい口数が少なくなるし、人に連絡するのを忘れてしまう。

人としっかり話せない、話せなくなってしまう。

正確には、なにも喋らないわけではないのだけれど

頭の中は常にいろんな考えが巡っているのだけれど

言えない。

できるだけできるだけ結論を引き延ばして、

それまでなんてことない話題だけでごまかして、

なにを喋ったかなんて。

 

肝心なことはなにも話していないとき

私はきっとここに来る。

 

本当は思っていること、話したいこと、

やり直したいことがいっぱい。

 

でもきっと、いろんな人がそうだね。

 

昔の知り合いは「言語化する途中なんだね」

なーんて言ってくれたっけな。

そう捉えてくれるのが当たり前と思ってはいけないからさ、

ちょっとずつ 待たずに伝えていかなければね。

乗り込む電車は

偶然でも、いま選んだ場所だからね。