日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

平穏なドアと倒れない木、それから愛、オザケンの魔法

いろいろあっても、ある程度心の平穏を保つことは大事だとも思うけれど

いっぽうで、悲しいときは悲しいと泣かないと

麻痺してしまうだろうに、とも。

(この場合の「いろいろ」は、人の生死に関わるような深刻なことは除いてほしい)

 

風が吹いてもしなやかに、

倒れない木のように

どっしりと構えておきたいものだ。

 

 

魔法のような小沢健二の2年越しライブ2DAYSを経て、本日は生活。

あの空間は確かにすべてが泣けちゃうほどに幻想的で、マジック。

なのにいつもの生活で必要な鍵を探し当ててくれたような不思議な感覚だった。

それと小沢健二のファンは、自分の感情を言葉に表すのにとても長けていると思う。

本人のインスタへのコメントを見て確信に変わった。

小沢健二が「ややこしい歌詞を書く僕」とか

「変な歌詞を」とか、自分のことがややこしいと分かっている発言をして

私はたいそう驚き、ますます好きになったわけだが

そのややこしい音楽を見つけた彼や彼女や私もまた、ややこしくて面倒くさくて

なにか違ってもいいから、自分の言葉で伝えたい人たちなんだなと。

なんだか嬉しい。

エンタメブログにも、またまとめるとして。 

 

生活に帰ったあと、少し驚いたことがあった。

完全にプライベートな話なので詳しくは割愛するけれど(なぜ?日記なのに)

知っている気になっていたさまざまな人のさまざまな出来事。

改めて、なんでも知っているわけじゃなかったことを思い出した。

たとえ深い話をしていると思っていても、温度感とか、タイミングとか、まあ、いろいろある。

私も仲のいい人でも、言っていないことはおそらくあるから。

ただ、意図せず知ってしまった場合。いつまで知らない気持ちでいればいいのかと迷うときはあるよね。

 

演技をしているんだ。あなただってきっとそうさ、と、椎名林檎も云っていた。

 

 

なにか変わったことがあると、

そしてそれが、自分にとっては少なからず驚いたり反芻するものだったりすると

無性に「変わっていなさそうな人」というか、「変わっていても変わらない人」の顔が見たくなる。

それはたぶん、馴染みの飲食店のドアを開けるときの感覚に少し似ている。

さらにその飲食店で大好きないつものメニューを食べて満足できれば最高。

 

自分の軸を持っている人、がそれにあたるのかな。

私もドアを開けたあとのいつものお店のように安心感のある存在になりたいと、定期的に思ったりするけれど

なっているのかな。どうなのかな。

割と変わっていないと思うんだけども。

それはいい意味で?どうだろう。

 

最近どう?と声をかけて、変わりはないよ、と返ってきても

いろいろあったよ、とか 実は…と返ってきても

フラットにその人の生活に寄り添えるような心を育てたいな。

嬉しいことは一緒に喜んで、悲しいことにはそっと寄り添う。

それは、彼や彼女の平穏さや強さに自分が依存しているわけではない、はずと信じている。

ただ確認したい。いろんな人、元気でいたらいいなあと。

 

 

おとといもさ、小沢健二ライブの後。

一緒に行った弟が終演後すぐに帰ったものだから

ガーデンシアター近くのフードコートでひとりラーメンを食べていたのですが

なんと同じ時間に知り合いが同じ場所─ライブ会場はもちろん、同じ時間に同じフードコートにいたと発覚して。

言って!会おうよ!と突っ込みたくなったが、本人言っていた。そう、インターネットでね…

 

見てない…そのときは見てなかったんだ……ごめんよう……久しぶりに言葉を交わしたかった。

 

これからはもっと今よりインターネットを見よう、そう決意する。

仕事じゃん、とかそういうアレじゃないですよ。

本来の自分の使い方を取り戻したくて。

インターネットは私の遊び道具で遊び相手。楽しい情報、勉強になる情報を見つけていたい。

あの頃みたいな秘密感と、行こうよ!話そうよ!の楽しさを。

 

馴染みのお店(のような雰囲気)が大好きだけれど

変わらなさを強制したり、エゴに依存することは避けたい。

ただ、変わりすぎると心がついていかなくて

続いていくはずのマンネリをどこかで求めてしまう現象もある。

それも知っているけどさ。

ひょっとして、マンネリこそが幻想なのか。

変わらないことなんてないのではと、まあ確かに理解はしそうになるよな。

 

そう、私は偶然か必然か、変わらない部分が多いかもしれない。

でも、関わる人の人生は変わっていくことが多い。

(変わっていないとしても、大好きですよ)

 

もちろん、そのすべてが素敵な変化となって続いていくものであるようにと願う。

いろんな新しさ、外部も内部も、ごくごく吸収しながら生きていたい。

たぶん、すべてに寄り添えたら 大切な人がどんどん増えていくと思うんだよなあ。

この世界には好きな人が、そりゃ、多いほうがいい。

 

今は、鳥ではなくて木のように見守りたい。

 


そうそう、2日間の魔法的宇宙ライブで得た不思議な感覚がもうひとつある。

その場にいる人たちの人生を、なぜかまるごと抱きしめたくなった。

 

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やたらと消えない光のように

その気持ち、きっとホンモノだろうから。