日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

死なない嘘をつき続けてくれた人

 

母方の祖母が旅立ち、お見送りをしてきた。

眠っているようでとても綺麗だった。

桃色のような紅がよく似合っていて、お花も色とりどりで鮮やかで。

祖母が撮影したというお花の写真もいくつか入れて。


聞いてください。

祖母、99歳なんですよ!!!すごい。

ほんとに先月まで笑顔で元気そうだったので

うちの家系(長寿)からついに100歳が…と疑わなかったけれど。

気持ちはもう100年分の感謝です。

 

ありがとうおばあちゃん。


ゆっくりおじいちゃんと会えているといいな。

(祖父も95歳まで元気でした)

※確実に長寿家系

※全祖父母、80代超え 父方の祖母は健在

私たちもがんばるぞ… 

 

ちょっと疲れが出たので、家に着いてすぐ爆睡した。

まだ体は慣れないけど、

明日から徐々に生活へ。

 

こういう出来事は、人の一生を駆け抜けて体験するようで

本格的に実感するのはこれからなのだろうな。

 

 

私がとりわけ母方の祖母の死に対して深い気持ちを抱くのは、大正時代を知る長寿で人生の大先輩だから(もちろんそれもとてつもないが)というだけではない。

 


私が子どもだった頃、たぶんまだ5、6歳ぐらい。

それより前の可能性もあるが

当時の幼い私は、死というものがなんなのか分からなくて

…いや、今でも分かってはいないけれど

分からないのになぜか、人はいつか死ぬってことを知ったらしく。

 

なぜか、

死ぬって何?いなくなっちゃうの?

と、母方の祖父母の家で泣き叫んだことがあったのだ。

 

部屋がいくつかあって、居間ではない、もうひとつの部屋のほう。

フランス人形や大切そうな品がケースに入れて飾ってあったりする場所。

 

二つ結びにした髪の毛の自分を覚えている気がする。

結構な泣き叫びだった。

何か分からなくて、分からないことが怖くて泣いている。

それと、とにかく嫌だった。

 

自分が死ぬのも未知で恐怖だけれど、

みんなが死んじゃうのが嫌だ、いなくなっちゃうのが嫌だ、

この生活が終わってしまうことが嫌だ、という悲しみ。

その悲しみのほうが大きくて泣いていたように思う。

 

おばあちゃんも死んじゃうの?いやだー!と、

なぜか本人をぽかすかする勢いで

死なないでー!!と懇願した気さえする。

当時祖母はきっと60代とかなので、突然孫に死を意識させられて困ったかもしれないが。

 

でもさ、そしたらさ、その泣きじゃくる私を受け止めて

おばあちゃんは笑いながらこう言ったんだよ。

 


「死なないよ。」

 


30年ぐらい前の優しい嘘。

あの一言でだいぶ恐怖が和らいで、

なんだ、大丈夫なんだ!と思ったのも覚えている。

おばあちゃんも、みんなも、死なないんだ!

よかった!いつまでも一緒にいられて、

この楽しい時間がずっと続くんだ、

みんなで!

 


ほんとにずっと嘘をつき続けてくれたなあって思うんだよ。

 

 

祖父を、あ、祖母にとっては夫を亡くしたあと、たしか95、6歳まで本人の強い希望で一人暮らしで。

(いやほんとにすごい)

施設のサポートを受けるようになってからも、楽しそうに過ごしている様子がたびたび写真つき通信で届いて

見るたびにむしろ肌ツヤがよく、ふっくらして元気そうになっていたので

このままどこまで健康で生き続けてくれるんだろうと希望をもらっていた。

写真はいつも笑顔でね。ほんとに。

 

 

コロナ禍になる前、両親と私と弟で祖母の好きなレストランへ一緒に行って。

祖父母の住んでいた地で有名な観光スポットも見て、久々にみんなで来たなーと写真を撮ったりして。

 

まだまだ元気そうなのに、なぜか祖母は私と腕を組み「ここに来られるのは最後かもしれないから、よかったあ」的な言葉をつぶやいていた。

 

「いやいやw おばあちゃん元気なんだからまた来られるよ!」

本心でそう言った。

 

母によると、この日初めて歩くときに杖を使ったのを見たという。

 

祖母も祖父も基本性格が陽気でポジティブで、母方の家系はネアカなのだなと憧れているけれど

この日確かに初めて、「最後かもしれない」なんて言い回しを祖母の口から聞いたのだ。

 

とは言え、それが果たしてネガティブな気持ちから生まれた言葉だったどうかも なんとも言えないか。

来られてよかった、の、「よかった」を軸にしたのなら

みんなで行けてよかったし、叶えられてよかったよ。

 

 

コロナ禍で施設への面会が禁止になり、最近ようやく緩和された矢先。

数ヶ月前の手紙には「◯◯ちゃんは元気ですか」と

私の名前が添えられていた。

 

 

それが元気なのよ。

いつのまにかいい歳にもなって、年齢言ったらおばあちゃんびっくりしちゃうかも。

たぶん30過ぎたあたりから私が何歳だったのか、なんとなく下に見てくれているような気がする。

自分が若く見られると言いたいわけではなく

孫っていつまでも若くて幼いイメージなんじゃないかなって。

私がその立場になったと仮定したら、そう思ってしまう気がする。

本当に可愛がってもらった。

 


初めて死を意識して、そして怖さをなくしてくれた存在。

最後に会って話したかったな。もう一度。

 

 

弟と帰りの車で、「もしかしたらまた何年後か、10年後か、そして何十年後かにも必ずこういう出来事はある」話をいろいろとした。

 

 

「そしていつかは自分も死んじゃうわけで」

弟が当たり前のことをつぶやいた。

 

 

「面白おかしく終わりたい。湿っぽくならない方法はないかな。自分のときは笑って送ってほしい」

 

「何十年後かには送り方もさらに多様化している可能性はあるよね。その日を自分でプロデュースするのはありだなと思う。こういう音楽をかけてほしい、みんなの服装は黒くなくてもいい、とかね…ぺらぺらぺら…」

仕事の話みたいに語るなよ、と自分で思うが、

こういう日の帰りは反動なのか、やたら口数が多くなることも ある。

 

 

確かにその未来は怖いけれど、いつのまにかわけもわからず泣きじゃくっている二つ結びの子どもはいなくなっている。

別れに涙は出るけどね。

 

 

人との関わりは大切なことを教えてくれるよね。

ありがとう。

私たちがこの世界を駆け抜けたらまた会おうね。

 

 

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今日の1枚はオロナミンC

私たちが祖父母宅に遊びに行くと、必ずと言っていいほど用意してくれていたドリンクがオロナミンCだったのです。

祖母、10本セットだかをいつも歩いて買いに出かけ、手で持って帰っていたらしい。

(元気ハツラツとはこのこと)

祖父母の家の冷蔵庫を開けるのが楽しみで楽しみで。

ドリンクにアイスに、夢がいっぱい詰まっていた。

なんだか祖父母の家、おじいちゃんおばあちゃんちって楽しいことしかない夢のような場所だったなと思う。

それはふたりの優しさと 愛情で出来ていた場所だったんだよね。

 

ちなみに祖父は90歳過ぎても自転車乗ったり、お酒やパンやお菓子や嗜好品を楽しむ人でした。

すごいなふたりとも。

まだまだ教えてもらうことだらけです。

明日はこのオロナミンCを飲んでがんばるよ。