日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

2022の指針と元気をくれるポテト

あけましたね。今年もよろしくお願いします。

 

去年は社会的にも内面的にもさまざまなこと、まだまだ完全晴れ模様とはいかなかった気がするけれども

個人的には2020年より息苦しくはなかったかな。元来おうち好きなのもあり。

何を得ようと何を失おうと、どうせ時は前にしか進まないし(←推しの名言。を差し込みたいだけ)

天気みたいに、外にも内にも「◯◯のせい」をあまり使いすぎずにあるがままを受け止めていけたら。

 

備忘録で記そうと思ったこと。

「こだわりすぎることに、こだわらない」

─周りからは気づかれない自分だけのジンクスやこだわりを楽しむのは、大好き。むしろそれが私の長所でしょうに、と言ってくださる人もリアルな知り合いの中にはいるかもしれない。

そこをやめるわけではない。

そう、妥協するわけではないけれども

こだわりすぎて自他が生きづらくならないようにしたい。

 

先日久本雅美さんとジェーン・スーさんの対談を読む機会があり、「私たちだけがいつまでも理詰めなんだよね」的なニュアンスの言葉を発見してとても感銘を受けたのです。

ああ、確かにそうなってしまいそうなときってあるな、と。

正しいこともある。ミスはしたくない。でも圧が強い雰囲気にはなりたくないんですよね。

完ぺきにすることは気持ちがいいけれど、ときどき「仕方ないじゃん」って言っていってもいい気がする。天気が良くなくても仕方ないよって言える人間性を育てる。もちろんミスはしないほうがいいから手を抜くわけではないけども(ん、こういうとこか?)。

 

手始めとして、年末購入した良さげなシャンプーをきりよく年が明けてから使用するか、今すぐ使ってしまうか悩んでいたが「いや、いま使いたいから」と2021年のうちに開封した。めちゃくちゃいい使い心地で気分良く年が明けられた。早く使ってみてよかった。

そんな些細なことでも、こだわりを崩す勇気。頭皮も心もガチガチ感をゆるめていきたい。

自分や周りを許せなくなる大人にはなりたくない2022ということだ。

 

 

しかし2022か…

30日、ひょんなことから2007年の自分の日記を見ていた。

「2000年代もだいぶ板についてきた」なんて書いていて、いやあ遠くに来たなと。

2020年代なんて、あの頃絵空事だった。

来てしまったよ。

新しい出会いもあれば、2007年の1秒後にワープして来たのかってぐらい変わらない関係性もある。

生きてみるものだよ、生きていられるのは嬉しいことだよと、きっと生涯かけて似たようなことを言っているだろう。15年後この日記を見て答え合わせしているかもな。生かしてもらっている、色々なことに。

 

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マックポテトもうMサイズあるんだ?と嬉しくなり撮った年末。注文時に「Mないですよね」からの「サイズはいまS、M、Lの中から〜」まさかの店員さんの返しにリアルに「えっ!じゃあMで」と軽く動揺してしまったよ(これを撮った31日の11時はポテト再開直後だったようだ)。

先日のマックポテト不足のニュースで「30代ポテトファン」と紹介された女性がいた。羨ましい。私も30代ポテトファンとか◯◯ファンという肩書きがいい。なんだか楽しそう。

 

そういえば去年、と言うと遠いけど2021年の秋頃。マックポテトを食べながらふと「ポテトを一生食べられる心身でいたい」「これは立派な目標だ」と思ったんですよ(マックポテト大好き)。

ジャンクなものを求める気持ちは元気な証な気がするし、胃も含めて、芋を食べて笑える心身でいられたら楽しみがたくさんあっていいなあ、と思っただけなのですが。

まあ気持ちや指針は変わってもいいし、急に芋が受け付けない体になってしまったらもちろんやめるけれども

一生食べないものがたくさんあるより、一生食べられるものがたくさんあるほうが毎日がカラフルになる気もしている。あくまで私の場合。

 

何十年後まで生きていられても、ポテトがうまい、食べ過ぎに気をつけなきゃ、とか言っていたいな。

今年もこれからも求めるものはそういう、小さく満たされることの積み重ね。

 

 

☆今日のできごと

ニューイヤー駅伝最高

佐藤悠基さん、今井正人さんリスペクト!

・東洋OBの活躍に心躍る

・優勝旗…気になる

基本お正月は駅伝を観て終わります。

ニューイヤー駅伝、ドラマがありすぎた!