このブログはこんなふうに書いています(参考にはならない)
ここに載せているような日記や日常エッセイを書くときはまず、
・書きたいテーマを決める
・ある程度ざっくり構成を考える
・起承転結、特にどうオチをつけるか、冒頭の文章からどう本題に持ち込むかの流れもしっかり考える
・目次をつけるならどうするか、タイトルの方向性も書き出す
・ここまで出来てようやく書きはじm
なーんてことはせず(ごめん、本当はやったほうがいいよ)
えいやで頭の中に浮かんでいる「いま書きたいこと」を、1行目からそのまま書いている。
(仕事だとまた少しやり方が違うが)
文章うまくなりたいなら基礎から大事にしなきゃでは?と突っ込みたい気持ちもわかるがちょっと待ってね補足もあるから。
とりあえず名もなきブログは鮮度を優先してまずは書いちゃいがちではある、思ったことをそのまんまね。
タイトルから思いついて、そこから広がらせることもあれば
書き終わったあとに考えることもある。
で、気が済むまで書いて、書き終えるとなぜかいつもだいたい2000文字ぐらいになっているので
ふーん、と読み返し、気になる部分を加筆修正して投稿。
そう、これが補足。構成は書かないけど、最初に荒く書いたものに手を入れるので結局は構成しているかもしれない。そこは安心してほしい(?)。
または、ここはきっと更新後すぐに気づいて見にくるような読者はいないため
誰も見ていないしな、と さほど推敲せずに一度投稿してしまい
読みながら直すこともある。
50回ぐらいチマチマと直すこともざらなので
投稿したよ〜とSNSでお知らせするときにタイムラグがあるのはそういうこと。
こだわりというかずっと続けていることは
自分の書いたものは基本どんなものでも複数回は読み直すこと。
最低10回?もっとかも。これは無意識。
日記に限らず、LINEやメッセージや誰にも公開しない日記ですら、文章を書いたら読み返すくせがある。
推敲というよりはリズムを見てしまう。
好きな文章のリズムがあり、それが変だといやなのだよね。どんなリズムかと聞かれたら答えづらいけど。
リズムが自分っぽい文章は公開非公開に限らずコレクションしたい気持ちになる。
あとは「読みやすさ」も無意識のうちにずっと意識しているかもしれない。
「読みやすい文章」と言われると嬉しくなる。
気持ち悪いことを言うが、自分が自分の文章のファンなのかなと思うことすらある。
文才はほしいけれど、これはこれであり、というか。
自分が後々読み返せるようにと書いている部分も大きいし、好きな感じのものが書けるとそれだけで満足してごはんもおやつもいつもの3倍ぐらいおいしく感じる。既においしいのにさらにおいしい。
いろんなものを書き続けてそれで1日の大半が終わる休日もあれば、寝る前に少し…と日記を書いていたつもりが朝になっていることもあり、なぜそこまでして、とは思う。もちろん趣味なのでお金が入ってくるわけでもない。
でも、人には理解されないかもしれないがそんなときってとても充実しているし、睡眠と引きかえに「書き逃した」後悔をすることはないから まあいいのかなと思う(?)。
集中すると目の乾燥はやばいからそれは気をつけないといけないし、本当に眠いときは寝て生命を保てと体が教えてくれるので(=寝落ち)なんとかなっている。そうして目覚めたあとにだいたいベッドから落ちているスマートフォンを拾い、下書きやメモを見て自分からプレゼントや宿題をもらった気になることもある。
ここまで書いてある!えらい!とほめてみたり、赤ペン先生が脳内に登場したり、あるいは顔から火が出そうなほど素直なポエミィワールド、通称aikoの『暁のラブレター』現象が展開されていることもある。このアルバムはいいぞ。
所要時間はものによる。10分で書くこともあれば、数時間書いても終わらないことも。
紺野ぶるまの話は、ぼんやり白湯を飲みながらメモしていたら
1時間後ぐらいにああいう形になっていた。
一応、書きたいネタが浮かんだらその場でスマートフォンにメモしたりもしているけれど
断片的にだけ残して安心してしまうものは、たいてい自分の中の鮮度が過ぎて書かないまま終わることが多いので
最近は思ったことを早めにえいやで書いちゃうようにしている。
そのぶん途中で収集つかなくなるときもあるので
未完のエッセイもたくさんあります はは。
そんな感じです。
ここまで800文字ぐらい!と思ったら結局推敲して加筆修正したら1400文字を超えてしまった。
やっぱり多くなるとサラッとは読みづらいよね。
短めの日記も増やしていきたいなあ。
ちなみにこの記事はインスタストーリーで投稿しようと書いていたメモをせっかくならここにも残そうかな、とコピペした結果、
こんなんブログに投稿するには雑すぎるわと修正して修正しまくった結果です。
うん、ストーリーの使い方も大概間違っているけど(おやつエッセイはまた今度紹介させて)
不思議なことにインスタストーリーというこの長方形のキャンバスに書こうとすると「めちゃめちゃすらすら書ける」のよ。同じ人いない?
制限があると書きやすいのかな。はてなブログだとほらいつまでも書けるから。
ストーリーはさすがにどんなに文字サイズを小さくしても1000文字以内が限界ではないかな。
ちなみにこの小ささでだいたい700文字ぐらい。
一度に全体を俯瞰しやすいのもいいのかも。読み返しも早くできるし。
カジュアルなものとはいえ数分で文章が完成するからなんだかとてもお得だなと、近年ではスマートフォンのメモよりもストーリーで土台を書くほうが成功率は高いかもしれない(なんの?)。
ところで一般的にはどうなのだろうと気になって「エッセイ 書き方」で調べていたところ
たどり着いたページの文章がこんな感じだった。
タイトル
エッセイの書き方のコツ――魅力の所在はどこに?
(略)つまりベスト・エッセイを書くための秘訣とは、あなたの個性が印象づけられるような作品に仕上げることなのです。
とはいえ「こ、こ、個性……???」と思わずたじろいでしまうのが日本人というもの。でも安心してください。就職試験の面接のように難しく考えることはないのです。先の日記をベースにした作品でいえば、行き帰りの行程はすべて省き、目的地で観たものや出会った人について「感じたこと」や「考えたこと」を綴ればいいのです。そうすることで、エッセイ全体に書き手の性格が表れると同時に、テーマも明確でまとまりのよい作品になるはずです。同じものを見ても、同じ体験をしても、感じ方は人それぞれです。目にした対象そのものへの感慨ばかりでなく、それを見たことがきっかけで別なことが頭に浮かぶということだってあるでしょう。そうした「あたなの心や頭に生じたこと」を丁寧に表現していけば、
え、ええ〜、そこで〜!ふむふむと読み込んでいた矢先の出来事、ふにゃっと脱力した「あたな」のワード。
カッコで強調しているところがまた妙な哀愁を誘うような。
(なお引用元は出版社の記事のためより脱力はしたが、自費出版メインの社のようでそういう意味でも参考になるな…)
エッセイを書くうえできっと大切な「推敲」をより大切にしたいと、皮肉にもエッセイの書き方の検索結果を見て思ったのであった。
紺野ぶるまに嫉妬する。
容姿、学歴、収入、婚姻歴、資産、家庭環境、健康状態、友人の多さ、トークスキル、容姿を細かく突き詰めると肌質、髪質、身長、スタイル…
人が嫉妬したり羨んだりしそうなポイントを挙げるゲームでもするならおそらくなかなか豊富で終わらないのではと思うが
幸いにもなのか鈍感なのか、私自身はそれらの項目に嫉妬する感情をあまり持ちあわせずに生きてきた。
いや嘘、肌質はアトピーじゃない人が羨ましいし
流暢にプレゼンできる人が羨ましいけれど
だいたいが「持って生まれたもの」と「本人の力で得たもの」「本人の人生としてはその結果(私にはあまりというか全然関係がない)」のものなので、なんというか同じ土俵に立っていない。
学歴や出身校がすばらしい人は元々の頭脳と努力だったり、経済状況の良い家庭に育ったり自分でお金を払う覚悟を持ちあわせる人生で、そこに私が介入したり嫉妬する余地はないように思う。
頭が良くていいなあ、こうなりたいなあと思うことはあるが、本人の人生に嫉妬するわけではない。
この微妙な違い。
容姿については自分の姿が嫌いじゃない(YESナルシスト)こともあるかもしれないが、これは両親に感謝としか言いようがない。
この陽気な容姿でよかった。なんていうかいろいろ動きやすいのよ。ひとりで行動しても警戒されにくいというか、明るそうに思ってもらえるのか話しかけていただくことも多い。すなわち、いやもしかすると将来の孤独も多少防げるかもしれないじゃーん!そう思っているのは自分だけかもしれないが。
前置きが長くなったが、そんな私でも嫉妬する項目があると気がついた。
いつも明確に「羨ましい」「私もそうなりたい」を超えて、「なんで私にはその力がないのだろう」と悔しくなってしまうようなこと。
きっとそういう項目が、世間で言う嫉妬。
私にとってそれは「文才」だ。
インスタのストーリーで流れてきた雑誌社の投稿で「運命の関係を見分けるヒントは…ドラえもん!?」
というまあまあ解読不明なコピーを見つけたのでなんとなくクリックしてみた。
冒頭の紹介文を読むと、どうやら身近にいる?さまざまな女性を観察、考察したエッセイのようで
ああそういうのはたまにあるよね、と謎の見物人目線で読み始めたら、これが引き込まれた。
タイトルの意味を理解し、うまいなあ、と思い、
もう一度紹介文を読んでみると「芸人 紺野ぶるま」と書いてある。
私の芸人への情熱はボキャブラ天国で止まっているため(おーい世代)ほぼ初見に近い名前で、きっとどこかで見たことはあるのかもしれないが覚えてはいなかった。
でもこれから忘れることはないだろう。
そのエッセイは49回目となかなかの長寿連載らしく人気の高さが伺えるが、その理由もわかる。
思わずその場で過去記事を20記事は読んだが、どれもセンスが光り面白い。
特に第38回のおばさんについての考察や44回の会話にリスクを背負う話など、とても共感した。
どれも700〜1000文字ぐらいの、重くならずに読めてしまう文字量だけれど
まず、この文字量で起承転結もちゃんとしていて読後感が「結局何が言いたいかよくわからん、勢いだけだな」にならない構成力がそもそもすごい。
個人的に1000文字程度にすべてを凝縮させる書き方が難しくて、だらだら2000文字ぐらいになりがちなのもありリスペクトの気持ちが増す。
日常のあれこれをユニークな着眼点を持って切り取ってシンプルな言葉に料理することは誰でもできることじゃない。
完全に文才があり、言語化能力と構成力が高い。
どうやら普段の芸風としては下ネタが多めと理解したが、エッセイでは特段そんなこともなく、切れ味は鋭いがいろいろな立場に配慮した愛のある文章が多いのではと思う。全部は読んでいないのでぜんぜん違ったらごめんだけど。
文才のある芸人の方って、もしかしたらかなりいらっしゃるのかもしれない。髭男爵の山田ルイ53世さんのエッセイも好きで、ふとしたときに読むといつも面白くて舌を巻く。
そういえば芸人のキャリアを経て構成作家になる方もいるなあと考えると、文才や構成力があるから芸人になるのか、芸人になったから文才や構成力が備わったのか、なんだか卵なのかニワトリなのかバレーやバスケと身長の関係に似ている気もするが
とにかくまた新たに文才のある面白いエッセイを書く人を知れて、なんだか嬉しい。
(たまに打ち間違いっぽいミスや「的を得た」的に誤用か否かな議論になりそうな表現もあるけどそこは編集者さんが気づいてほしいのよ)
残念ながらあまり下ネタを大っぴらにする芸風には共感はできなさそうだけれど(だからこれまで私は彼女を知らなかったのだろう)、それも生きている道が違うから。
彼女のエッセイはこれからも楽しみに更新を待とうと思う。
嫉妬って言っても嫌な感情ではなくて、くうーいいなあ、と思えるほど光るエッセイに出会えた楽しさのほうが大きい。
あ、そのエッセイはこちらから読めるよ。
興味がある方はぜひ。
肌感、アラサーアラフォー女性あるいはその思考がある人に特におすすめ。
紺野ぶるま | GINGER[ジンジャー] | 自分を主役にした人生を。
あんなふうに文章が書けたら楽しいだろうなあ。
いいなあ。私もそんな文章が書きたい。
光る文章に触れるたびにそう思う。
そんなふうに繰り返し思う事柄って、本当に文章だけかもしれない。
その都度ハマっているものはあるし、その道のプロの作品に触れれば感動するし、
でも、自分に落とし込んで悔しい!となるほどのことが きっと今はこれしかない。
でもそれでいいのだと思う。
そういえば音楽文.comが更新されていた頃、文才と熱量の高い一般ユーザーがあふれた世界に衝撃を受けて、あのときも嫉妬したんだ、みんなに。
頭の中をあんなにカラフルに見せられるみんなが羨ましくて、書けない自分に悔しくなって。
いつかあのサイトに載せられるような文章が書きたい、でも私には無理だろうなと諦めていた。
でも最終的にそのサイトに掲載できるようなテーマの文章が(SMAPのおかげで)書けて、さらにその月の月間大賞をいただいたりもした。
憧れや嫉妬がポジティブな原動力になることもきっとあるのだろうし、
矛盾するようだが、悔しくなる事柄って「自分もそうなれる」と根拠なく思っていたり伸ばしたいものだったり、そこで戦いたいと思っているからだろうとも感じる。
冒頭に挙げた容姿や学歴などのほうに嫉妬をするタイプの人は、きっと実際には自分も容姿が優れていたり頭が良いはず。または、そうなりたくてめちゃくちゃ努力をしている。
無意識のうちに悔しく思うのは、もともとそこで戦える力があるがゆえではないかと。
どうでしょう。人間ってほんとそれぞれ違って面白い。
それにしても芸名すごいな!いや、それで言えばドラゴンボールのキャラクターたちは何食わぬ顔して先駆けのネーミングすぎるけどもね!
疲れてる?と聞かれたときどういう気持ちになればいいんよって件
そういえば最近はとんと聞かれないけれど(アンサー : 人と会っていません)
出社したり外出する機会が多いときはちょくちょく聞かれていたっけなと。
なんでそんな話を急にするのかって、20代女性インフルエンサーのアカウントで「◯◯ちゃん、お疲れですか?🥲いつもと顔が違うような…」的なコメントを見たからなんだけど。
ちなみにインフルエンサーは律儀に「実は昨日メイク落とさないで寝ちゃって…いつも見てくれてるから気づいてくれるんだね!ありがとう🥲休むね!」的な返信をしていた。
えらい、えらすぎる。なんて模範的なのか。
こういうのって純粋なファンの心配とそうじゃない人と、どちらもいると思うんだ。
今回はきっと純粋なファンの心配ケースだが、さまざまなアカウントの、写りがその人のベストな状態と違うように見える写真や照明が微妙なインスタライブにも同様のコメントを見つけることがある。
そのあたりはなんていうか、いや、敢えて言わなくていいよなとは思う。確かに私もそう感じたケースがないとは言わないけれど、敢えて言うまではしない。本人はそう思っていなくても、言われたことで逆に気にしちゃうかもしれないし。
あと、私が今回指摘されていたインフルエンサーの写真を見た限りではお顔もお肌もつるつるで疲れているようには見えなかったけど
「疲れている」先入観と前提条件があると、疲れを探して疲れをねつ造してしまいそうになる。それがいやだなって。
まあインフルエンサーのケースを取り上げるのは世界がちがうので極端だけれど、実生活でもほんとに聞かれてどう答えればいいのか、気持ちの置き場をどこに持っていけばいいのか迷う質問の6位ぐらいに入るかもしれない。
高いんだか高くないんだか微妙な数値ですが、世の中には聞けなさそうなことをがっつりと聞いてくるタイプもたまにいるのだよね。そういう感じのアレをトップ5ぐらいにはしておく。すまないねえ、ミステリアスなわけじゃないんだけど。
ちなみに私の場合、特に男性に聞かれる率が高かった。たぶん大半が純粋に本当に忙しいと思ってくれたり心配してくれていたのだと思う。ごめんね、受け手の問題なんですよこれは単に。正直な男性のこと嫌いじゃないんです。愛すべきストレートですよね。
ただ普通に生きていて女友達からそのような台詞を言われたことは、たぶん、ない。うん、なかったな。それがおもしろいデータ。
(インフルエンサー宛だと同性の方らしきコメントが多いので、そこはSNSならではですが…)
女友達って基本的にやさしいというか、想像力が豊かだと思う。
同性だから余計気がつきやすいのかもしれない。
たとえば自分が言われて複雑な気持ちになるであろうこと、またはそういう予測がつくことを敢えて聞く人って
たぶん、少なくとも私の周りにはぜんぜんいない。
白状します。
「疲れてる?」イコール、
「顔とかのコンディションがいまいちで、なんか今日かわいくないけどどうしたの?」
って意味にとらえてしまうんです、
だからちょっとテンションが下がるんです。
私は。あくまで私はね…!
覚えているのは、自分の中ではコンディションがかなり良くて、体調もぜんぜん悪くなくて、よく眠れているし元気で、心当たりがまるでないときに相手の開口一番の台詞がこれ↓だったとき。
「なんか…お疲れかな?忙しい?大丈夫?」
ええっ?私疲れてたのか!?
私、いまヤバいですか!?
顔色とか肌の調子とかあの部分とかこの部分とかですかね!?
どこだろう?どこがいけてないんだろう?
(できればそこまで言ったら具体的に教えてくれむしろ)
一気にコンディションに自信が持てなくなったっけな。あ、その方と付き合っていたとかではない。
あくまで私の場合はですよ。あと、いい面ももしかしたらあるかもしれない。
ダイエットと同じで、太った?と聞かれることもあまりないけれども もし言われたら現実を知って焦るかもしれない。
それがきっかけとなって己を磨いて自分史上最高にかわいくなれるかもしれない。
【START】疲れてる?
→疲れてるように見えるんだ…
→しばしのショックはあるが、何がどうしてそう見えるのかを自己分析
→改善の努力などをする
→きれいになる
→YEAH
→またはそう聞かれたときの回答をひねり出す、気にしないメンタルを育てる、など外見以外で改革をはかる
→いい感じ
そのパターンだって、大いにありえる!
だから人による。
なんでも言いにくい世の中になったかもねとは思うけど、それで精神が快適に保たれている人だってきっといるし、逆にいやもっと配慮しないで本音でぶつかり合いたいよって人もいるかもしれない。
こればかりはわからないよね。ただ、目の前にいる人の反応を見たり想像することでコミュニケーションがズカズカ踏み込む道具になるのを防げる気はしている。
とりあえず、私は自分の姿でああここは突っ込まれるだろうなというポイントは自覚しているつもり。
だから、うん、めちゃくちゃ心配して口にしなくてもたぶん大丈夫かも…ほんと。ありがとうね…
あ、ただね、例外あった。
もし本当に極度に疲れているときや具合が悪いときに「疲れてる?具合悪い?心配だよ」と言われたら
やさしさにほろっとすると思うし、自分も自分の体が心配なので(おい)
本当に顔が青白いと思ったときは言ってくれて大丈夫だわ…
または「疲れてるんだろ?なのに無理しやがって…」的なキャラが登場したらたとえ断定でもときめくかもしれませんが、それもまた別…それとは別なんだ…
いやほんと、この日記の最後のほうで気づいてごめんだけど
私も具合悪い?体調平気?なら言われてもぜんぜんいやじゃないし、絶対自分も言ったことあるな。
疲れてる?じゃなくて、具合悪い?のほうが重いと思うけど
なんなんだろうこの気持ちの差は。
疲れてる?→体調不良とまでは思ってなさそうだが見た目のコンディションの悪さを連想?
具合悪い?→とまで言うからには明らかにいつもと違う様子を心配してくれているし、本人も本当に具合が悪いだろうから腹も立たない(?)
こういうことかな?ああもう。
言うなと言ったり、本当に具合が悪そうならば心配してくれたほうがうれしいと言ってみたり。
面倒くさいよねマジで。
NGや要望の多い腫れ物にさわるみたいな存在になるのはいやだああ。
ただなあ。疲れてる?って、ぜんぜん疲れてないときに言われるとほんと複雑なんよ。
え、疲れてないよ!ありがとう心配してくれて☺️
ってもし答えたとしても、なんか無理してる感出ない?ちがうんよ、本当に元気なのに…!
なーんて今は一周まわってそこまで気にしないけど、
元気で楽しそうに見えるほうがなんだかうれしいし、実際楽しく元気に過ごしていたいし
スキンケア…そして内面のケア、がんばります!
金木犀の香りって ほんとに気づいているのかな
ここ数年、「金木犀の香りがどこかからすると秋の訪れを感じる」的な趣のあるソーシャルボイス(仕事っぽい言葉やめますね)が多い気がするのですが
私はその風物詩にコンプレックスすら抱いていた。
ぜんぜん香りがわからないから。
どれ?どれが金木犀の香りなの?
秋の香りどれ?
日が暮れてどこからかカレーの匂いがしてる♪(by20世紀少年)的な、よその家のカレーの匂いならたまにキャッチするのだけども。
そもそもみんな、いつ、どうやって金木犀の香りを知ったのか。いつ勉強したのか。
私の狭い視野と経験なのでなんとも言えないが、
幼い頃も大人になっても「これこれ。これが金木犀って言うんだよ」「いま、ふっと香ったこの香りは金木犀と言って〜」と道端や日常で教わった記憶もまるでないため
そもそもどれが金木犀でありどういう香りであるか、すっ飛ばして生きてきてしまった。
知らないこと、経験していないことが多いのはいけないことのような気がしてしまう。本当はそんなことはないのだけれど。
いや、もちろん「これがスイカで、こういう香りなんですよ」「なるほど、これが夏」なんてやり取りをしたこともないので
ぜんぶ勉強なんてしてこないのに覚えていたものですが
スイカはほら必修科目的な、割と浸透しているものであると思っているから。
一般的なの?もしかして金木犀も必修科目だったのか。こりゃ失敬…
で、毎年秋が来る。金木犀のつぶやきや新作香水のニュースなどが巷にあふれるようになる。
そのたびに「今年こそは感じてやる!金木犀を!!」と決意する。
金木犀が自然に香ってくるのはどうやら期間限定らしい。
今年こそ街中で、道端で、ふっと限定的な秋の香りを感じられる大人に─
そう思ってその期間を過ごすが、去年もその前も、まあ結局どれがその香りかわからないまま
カボチャやイモなどのほうの風物詩に目や舌を奪われて秋が終わったのだった。もぐもぐ、秋ってさいこう。
でも今年の私はちょっと違う。
カボチャもイモももちろんおいしいが、ついにそれ以外のこともわかった。
そう、知ってしまったのだ…
(ジャーン的な効果音をくれ)
これだろ!これが金木犀!
そう!散歩して探し当てたよ!
このオレンジのつぶつぶの、この下でかいだ香りは
いくらなんでも真実だろう!!
やったー!!ついにわかったぞー!!
たったこれだけでドヤ感と音量がすごい。
ちゃんとした金木犀のある場所を散歩中に探し当てられたことが嬉しくてミラーレスで写真を撮ったよ。
そう、青い鳥は近くに。家から歩いて行ける距離に、実は金木犀はあったのだ。
ただね、近いと言っても頻繁に通る場所ではない。というか5年に1度ぐらいしか通らないような場所にそれはあった。
そのあたりのスポットにどうもアレがあるらしい。アレって?例のものだよ。秋になるとみんなが騒ぐ、や、みんなが楽しむアレだよ。みんなって誰?一部の切り取りを国民の総意とは思わないほうが、いや今回はそういう議論がしたいわけじゃない。そんな情報を仕入れたので久々に出向いてみたわけです。
蚊がたくさんいたけれども、どうしても本物の香りを知りたくて しばし金木犀の下で立ち止まっている情緒な女になった。
すうーと大きく息を吸い、「これだな、たぶんこの香りだ!香水※もこんな感じだった!」と確信を抱き、でもまだちょっと不安だから何度か深呼吸を繰り返して香りをインプットして、そのたびに蚊がやってきたりした。秋の確信ゆらぐから、ちょっと今はやめてもらっていいすかね。
※今年は本物に会う前にお金を積むという情緒のない方法を用いてSHIROの金木犀のミニボトル香水を買い、香りを勉強した。
5分以上その場所に佇み、ようやく満足した。
さーすがに、さすがにこれで金木犀を知る女になっただろう。
私もようやくソーシャルボイスと同じ感覚を体験できた……
今回はそんな記念の日記でした。
……いやでも、こんなふうに実物の下で大きく呼吸をしないと金木犀の香りを感じられないって、そもそも無理やりでは?
巷にあふれる金木犀好きな人たち(?)は、歩いているだけでふんわりとこの香りを感じられるらしいのだが…
悲しいことに、私はそれは無理だった。件(くだん)の散歩中、金木犀らしきものが視界に入って「あれかな」とアタリをつけるも、香り自体は近くに、真下にたどり着くまでまったく漂って来なかったからね。
私、めちゃくちゃ鼻がきかない説。または、歩いているだけで香りがわかる人たちは特殊能力の持ち主説。
とにかくあのオレンジの真下でかいだ香りが金木犀の香りなんだな。正直完全に覚えたか、街中で香ってきても断定できるのかと言われたらたぶん怪しいけれども、手元に香水もあるし大丈夫(?)。
ひとつ賢くなった今年の秋であるが、私のような金木犀に鈍い人が他にいないかと検索をかけると、実はまあまあいることが判明したのも収穫だったんだけどね。よかった、実りの秋。
🔍金木犀 香り わからない
特にこの『金木犀の香りがわからない』歌には共感せざるを得ない。この現象を作品にする目の付け所がすごい。歌詞も読んだが、よかった。
金木犀の香りがわからない
なんとなく分かったように
話を合わせてきたけれど
本当はどんな香りかわからないまま
また 秋が終わる
また 花は落ちる
もう終わりだって
君は知ってた
愛の意味をずっと
僕は間違えたまま
周りに話を合わせていただけで実は金木犀の香りがどんな香りかなんて知らなくて、
最終的には愛の解釈のあやふやさにつながっていく。その流れとても好きだな。
私も金木犀の香りはもちろん、愛の香りもよくわからないからなあ。そういうことか(?)。
みんな、ほんとに気づいているのかな。まあこの話は深いな。またいつか。
秋メイクはしたけれど
リモートだと平日外出する予定はコンビニか散歩かマックぐらいしかないのでほんとうに化粧をしなくなった。
日焼け止めはなんとか塗る。
まあ本当はできれば日焼け止めはおろか、スキンケアも顔を洗うのもすっ飛ばしてしまいたいほどの面倒くさがりではあるが
なんとか最低限のケアは保とうとする心理状態にはある。がんばれ自分。やり始めてしまえば楽しいし好きだし。
(最近のモーニングルーティン→白湯を飲んで体重測って顔を洗ってスキンケアして美顔器やマッサージなどをして日焼け止めを塗る。工程、多いよなあ)
顔出しミーティングになる可能性がある日は家にいても化粧をするが、そのミーティングが延期になったりすることもある。
今回はそんな日。顔出しもなくなり、特に外に出る予定もなく、誰に見せるわけでもないのにばっちりとメイクをして準備完ぺきなときの写真です。
メガネは度入り。
半袖っぽいニット、着られる期間短いけどかわいくて最近こればかり着ている。
嘘じゃなくて外出する機会がそもそも減ったので、いま外に出るときはここぞとばかりにこれを選んでいます…
あとで見返すとたぶんこの時期のお出かけ全部この服だと思う。アリバイ工作とかじゃない。
タイトル回収しないと。どのあたりが秋メイクかといいますと、
イエベ秋(私は春タイプだが、秋は秋らしい色が塗りたくなるのよね…そういうものよね…)に似合いそうなカラーのオレンジリップを塗ってみたのだけども写真だとあんまり秋色感がないな。
実際はもう少しこっくりオレンジな感じです。
(アプリいい仕事するな〜)
ちなみに今のネイルのテーマはアップルパイです。
ただそれだけの記録。
そしてこれは昨日書いたものなので
いまは絶賛、低気圧にやられている。
またですか、またですか…!お手柔らかに…
冷たいひと(それでも晴れるし雨も降る)
ときどき自分はとても冷たいやつだなと思う。
ときどきじゃないかもしれない、しばしば。
なんだか急いでしまって、聞き間違いをしてしまうし。
間が悪いよなあ。
また常識がない振る舞いにしか見えないことを、人前でやる。
素直に。
でもその素直な感情こそが冷たかったらどうすればいいんだろうね?
と、たまに思う。
最近の下書き。
晴れた昼下がりに見返すとなんだこの暗さ!となるが、
これがまた夜や雨の日に見返すと自分に寄り添ってしまうのだろう。
晴れの日があるからそのうち雨も降る、
とモーニング娘。が言っているから
どっちもあっていいんだけどね!
つんくさんの歌詞って巡り巡って20年後に沁みるように作られていたのか。そうなのか。
I WISHってほんと名曲。
雨が降ってもまた晴れるさ、ではなくて
晴れがあるから雨も降る。
その思考が人生。ハローを好きな人って
ネガティブな人が多いだっけ?ちょっとちがう?
でも納得感はある。
最近10期と12期の周年投稿を見て癒されているオタクです。
卒業メンバー、特にはーちんもタグに入っているのが嬉しい。
ごめんね気圧
きょ…今日はなんか疲れたな…
3営業日しかないって、やっぱりいろいろとカバーしきれませんね…不測の事態があるとなおさら…
や、仕事はいいんだ。ありがとう雇ってくださって。
お給料日なことも忘れていたけどうれしいな!
研究しがいがあることでお金がいただけるのうれしいな!(直接的)
ただ気圧ですよ。雨がまたアップを始めるわけですよ。
気圧には濡れ衣で申し訳ないが、わーって吐き出したい疲労とか愚痴、ぜんぶ気圧のせいにしていいですかね。
こんなに短期間で天気がアレだとほんと、なんとかサイクルとかバランスとかに良くないと思う。
よく考えてみると地球に住まわせてもらっている身で「気圧に適応できん💢」みたいな身勝手な愚痴なのでごめんなさいなんだけどもね。クレーマーにはなりたくないんだが…
うちの三毛猫もなんだかちょっと本調子じゃなさそうで、トーテムポール(と自分が呼んでいるだけで絶対にちがう)の遊具の中の狭く暗いところでじっとしていたり、ごはんへの食いつき度がいつもより少し低かったり心配で。
今はいつも通りハンモックで寝ていますが、ちょっと油断はできない。
急に寒くなったからだろうか。動物も人間も、そりゃ本調子じゃなくなりますよね。
とりあえず猫用のあったかいシートを出した。
なんだかいろいろ変化に対応している途中かな。
本日の昼は月見、夜はセブンの金のビーフシチューというちょう最高のおいしいナニモツクラナイごはんでした。
セブンのビーフシチュー初めて食べたけど、こりゃうまいわ…
わかるよ…売れるのがわかるよセブン…
セブンのえらい方って絶対食いしんぼうだよね。食べ歩きとか好きなはず。たくさんおいしいものを食べている、または食べたい人が内部にいるに違いない。
味付けの好みが合うと思う、私とも(どうでもいいマッチング情報すまん)。
そうそう人間ドックの結果が返ってきて、結果はまずまずだがダイエットプロジェクトをやりすぎたのか身体測定の結果がAからBになってしまった。
「痩せ」と書かれており、BMIが17.5になっていた。いやそんなはずは。服の分の体重引かれすぎでは。
月見パワーでたぶんいまは18.3ぐらいのはずだ。
まあ引き続き適度に体型は気にしていく。
コレステロールも中性脂肪もAで問題ないけど、体重が4年前と比べて7キロ落ちてもほとんどコレステロールの値は変わらないんだな…
個人的には、痩せと言われたからにはここももう少し落ちていい気がする。
まあ今日も月見を喜んで食べているし、お肉とかおやつとか好きだからね。それでAなのは頑張って維持している…!メリハリ!
急にドカンと上がらないように来年も注視していく。
貧血はやはり、またなりそうな数値にまで落ちていた。一度は良くなったのになあ、鉄剤やめるとやっぱり下がるのか。増血剤エミネトンをちゃんと飲めばもう少し安定するかな。
あと白血球が基準値ではあるものの去年よりけっこう低いのが少し気になる。貧血改善されれば戻るかなあ(去年は改善状態だった)。
あとはやはり婦人科系には気をつけておきたい。ちゃんと検査しておくと勉強になりますよね。かかりつけにしたいクリニックがあるのでそちらに近々行ってみようと思う。
連休も無理せずゆっくり体調第一でいこ。みんなもですよ。