日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

雨のアラーム

予報が雨とわかっていても予定を入れるときって、

 

①よっぽど切羽詰まっている(その日を逃すとタイミング的にしばらく行けない用事、または開催終了間近の展示などがある)

②移動は車か電車、予定の詳細も室内中心であまり雨の影響を受けない(ので、荒天以外なら決行)

③雨でも関係なく会いたい人物がいる

④雨でも体調には影響しない確率が高そう(頭が痛いなどとドタキャンしない自信がある)

⑤むしろ雨が好き、雨のほうが好都合(雨に濡れる紫陽花を見たい、雨の撮影をしたい、行列店も雨なら列が少ないのでは?など)

 

などが考えられると思うのだけれど

私がありがちな状況としては①。

ただ、不安定な天候が続くと体調の懸念がかなりあるためあまり自信をもって予定を入れられないのが実情。

④みたいに雨でも体調に変化のない体質なら予定も組みやすいだろうなあと、少し羨ましさはある。

 

特に他者が絡んでいる予定の場合、当日延期のご提案をするのもつらいので(気圧で具合が…と言いづらいけど言わないと迷惑をかけてしまう)

雨予報が出ている週末は、外出するとしても

だいたいひとりで済ませられる用事しか入れない。

 

③のケースが時と場合であるとしても、正直敢えて雨が確実な日は選ばないかもしれない。ただそんなことを言っていたら次にいつ会えるかわからない人もいるかもしれないから、大雨台風以外ならなんだかんだ会っているかもしれないけど。(ただ、目的地にたどり着く前にびしょ濡れでなにと戦っているのかわからなくなるので「すごい雨だねえ、別の日でもいっか」と言える関係性だとラクかも)

既に約束をしている日が雨、それも強い雨予報になった場合は、自分の体調とハラハラ相談しながら時を待つ感じ。

くだけた関係性の場合はあらかじめ言っちゃうけどね、ほんとにあまり具合が良くないときはリスケしちゃったらごめんねと。心当たりがある人たちがいたらありがとう(でも最近は割とへいき。メニエール多発のときは真剣にドタキャンの可能性あった)。

 

でもこんなことを言ったらあれですが、本当に仲の良い相手たちなら雨でも風でも一緒にいるだけで楽しいしうれしい。会っているあいだじゅう、それが数日にまたがってもなお本降りの雨だとしても 好きなメンバーならば楽しいだろう。

ああなんだかなあって思うときは、つまり?関係性が?築けていない?え?

いや、そこでふるいにかけないように、かけないようにって自分に念押ししている。

 

クリームソーダの傘も買ったしね。外をカラフルな傘で歩くのはきらいじゃないし。

 

 

今日は久しぶりに頭痛も体のすべてが地面にめりこむようなあの重い感じもなくて、耳鳴りもたまに変だけどまあ普通、束の間の元気という感じだ。

ふたたび週末にかけて天気がどんよりして体も重くなっていくのかなああ。はあ。

小雨ぐらいならへいきなのに。どうやらそうでもなさそうだもんな。

またピラティスフォームローラーで首ほぐす、リファのローラーで頭ほぐす、睡眠とる、最終手段はロキソニンで乗り切るぞ…!

あ、待てよ、引き出しの整理をしていたら以前買った五苓散の漢方が出てきたんだった(期限は大丈夫)。

五苓散(ごれいさん)、低気圧系の不調に良いとかなんとかTwitterで話題になっていたときに買ったんだ。ちゃんと飲んでみよう。

 

雨とわかっているならできるだけ家でのんびり過ごしたいって思うのも

そんなに悪いことではないよねえ?

本を読んだり雨の音を聴きながらお風呂に入ったり SNSの投稿作ったり おやつ食べたり やりたいことはけっこうある。

そう、雨の日のお風呂はいい。それもやわらかな、土砂降りじゃない雨のリズムを聴きながら湯船に浸かるのがなぜかとても好きなのだ。ジャズやピアノ音楽を聴いている気持ちにすらなる。意味わからないね。

週末土砂降りじゃなかったら長風呂しよう。なんだか急に長袖を着たいぐらいの気温になってきましたしね。

いい子ちゃんの文章

最近、「まとまらなくてもとにかく文章にはしてしまおう」という取り組みをしている。

昨日は「頭の中がうるさいから一呼吸置いてから考えよう話そう」という主旨の記事を残したばかりだが、文章ではもっと瞬間的に?なんていうか「いい人」でいることをやめている。

心の中の矛盾や不純物のような感情も、取り繕うことなく残しておこうと。

 

公開するかは別として、そういう「なんにも誰にも配慮しないすっぴん状態の思考」を可視化して、心の声を把握するのを

もう少し本気でやってみてもいいんじゃないかと。

そう、これは練習だ、リハビリだ。いったいいつぶりか不明なほど久しぶりに

瞬間的な思考を、星座のようにつなげる。

 

意識しなくても一呼吸置いて考えることができる文章の中では、正直いくらでもいい人になれてしまうとも言える。

それをあらゆる場所で心がけていたら、皮肉なことに本音を言える場所も向き合える場所も減ってしまった。ように感じる。

 

 

ずっとのスタンスとして、偶然私の文章を見た背景も境遇もわからない「誰か」が傷ついてしまう文章はなるべく書きたくないと思っている。

(たとえば、私はA(仮)という歌手にはあまり興味がないしむしろ苦手だけれど、Aを好きな人やA本人が偶然見たら嫌な気持ちになるだろうと予測をしてAの話題は持ち出さないし書くこともしない。的なそれとか)

もちろん全国民の気持ちや背景をカバーするのは不可能に近いが、それでも嫌な気持ちになる人がいないか?と問いかける視点は常に持っていたい。

 

ただ、公開するかは別として、もちろん物事や出来事に対してさまざまな感情を持っているし、あらゆるものに対してBIG LOVE精神が鍛えられているわけでもたぶんない。

15年前のブログなどではまだあらゆる方面の配慮をすべきと思い至らなかったふしがあり、けっこう辛らつな、独自視点の、冷や汗ものの記事が残っていたりもする。もちろんそれは非公開にしているけれど。

 

やさしい、と言われることはなぜかよくあった。過去には職場で「誰にでもやさしい」とまで評されたこともあったり。

自分ではとてもそうは思えない。でも、もしそう思ってくれる人がいるとしたら、言葉や文字にするときにちゃんとフィルターにかけるから、かけてしまうからなんだろう。

あるいはあまり関係性を築けていなかった相手なのかもしれない。気のおけない人たちにはきっと、あまりむやみにやさしいとは思われていないだろう(これは皮肉ではなく好意的な意味)。遠慮をしないから?気を使えないから?実際は毒舌だから?そう、どちらかと言うと仲の良い人には毒舌と言われることが多かったのに。おそらくそのどれもが合っているというかなんというかスパッとひどいな。

 

そう、本当はぜんぜんやさしくなんかない。言葉を取捨選択していい面だけを見せられるかもしれない自分が、ときどきとんでもなくずるいんじゃないかって 思うんだよ。

 

そういうわけで、しばらく生まれた感情をそのまま文字にする訓練をしてみます。公開するかは別として。

 

あ、ちなみによくある「独身は◯◯で既婚は△△」的な違いを語るネタに関してのスタンスは文章と思考が割と一致しているな。

文章でいい子ちゃんになりたいわけではなく、「この下げた言い方、私個人には当てはまっても同じ肩書きの全員がダメなわけないだろ」と思ってしまう。だから断定して書かない、というか話題にも出さないのだった。

独身でも既婚でも、どっちの側にも素敵な人や苦手な人はいるよなあ。私の友人は独身既婚どちらの立場もいるけれども、みんな素敵よ。

傾向として分けたいのは理解できるけどもね。断定までは、やめておくれ(小声)。

 

あ、辛らつなご意見版キャラになりたいわけではないのでそこは安心していただければ…(?)

あくまで、湧き出る聖人君子じゃない感情からも目を逸らすなってことですね。たぶん。その練習!

読書記録と美しいほうの夜

最近本を読む率が上がっていて、今日も1冊読んだ。

直木賞を受賞した『夜に星を放つ』という短編集。

 

(22日までKindle版で買うと半額分のポイントがつきお得だった。なぜ。

なんだろう、心の中をこんなに言葉にしちゃっていいのだなと少し気恥ずかしさと気まずさと羨ましささえ覚える、切なさと痛みとあたたかさが同居したかのような作品でした。

映像化に名乗りを上げるクリエイターいるんじゃないかなあ。情景や台詞のトーンが頭に浮かびやすいから映像と相性が良さそうだ。

 

解決するしないは別軸で、なにかが変わる「合図」って人生の中にある気がして 

その合図に立ち会うような瞬間が詰まっていた。

嫌いじゃない、この読後感。

夜ふかしや暗闇、夜は悪者に捉えられることも多いけれど 夜に救われることだって本当は多い。

 

あ、一日中読書して過ごしたふうな書き方をしましたが本格的に読んだのはまあまあ遅い時間になってから。昼は痛くてね、頭が。

これ見ている人でも頭痛もちの人、気圧の変化にやられる人はいるかもしれないので皆さまお疲れさまです… 

まだすっきりしないけど睡眠は確保してなんとか乗り切りましょうね…

日中はフォームローラーで首と肩をたぶんダメだよってぐらいゴリゴリして、リファのローラーで頭もゴリゴリしてしのいだ。

 


なにも解決していないけどなにかが変わる予感、というか、変えたいなと思う感情は実はプライベートでも起こっている。

気圧も相まって余計にそう感じるのかもしれないが、最近自分のうるささや気遣いのなさに辟易していて 少し意識的に内と外を見つめている。

 

喋りも早口デフォルトだし書く文字量も多いから頭の中が常にうるさいのは想像にかたくないかもしれないが、

とにかく常になにかを見たり調べたり考えたりしないと落ち着かない性分は、

時に自分でも疲れる。

 

情報が多いとパンクするのに、瞬間的に受け取らずにいられない。調べずにいられない。「次の情報が並んで待機しているから」一度ターンがきたら喋らずにいられない。

ああ、うるさい。頭の中が常にうるさい。

(そして周りも絶対うるさいと思っている)

 

ちょっと休もう。頭の中を休ませよう。

そう思った日から、なるべく情報を焦らずゆっくりと受け取るようにし、ワンテンポ、ひと呼吸置いてから喋ることを心がけるようにした。
するとあら不思議、「ぜんぜんそれで成立する」じゃないか。むしろ、人と喋るときは常にそうあるべきじゃないのかと今さらながらに気づいて愕然とした。

 

心がけている段階だから成果はすぐには出ないと思うし、誰も変化に気づかないかもしれないし(精進します)、結局テンション上がると口数は多くなってしまうんだろうし、

そもそも私の良さってそこにも、情報が渋滞するところにもあるんじゃないかとも思うので

いろいろ詰めてPDCA回していきたいけども。(なんなんだよ)

 

ただ、自分比でものすごくゆっくり喋っても、咀嚼して考えても、自分のことを喋らなくても、喋らない代わりに相手や空間の情報を少し多めに受け取っても、

たぶん大多数の人にとっては普通のテンポで、むしろ普通の「心地のいい会話や空間」なんだろうな。

そう気づいてから少しラクになった気がする。

そんなバカなと思うかもしれないが、そんな簡単なことにも気がつけない。ごめんね。誰に謝っているのかはわからないけど。

 

で、矛盾しているかもしれないが、最近本を読む時間が増えたのもその「なんとなくの変化欲」と頭の中のうるささと向き合うためだったりします。

本を読む、それも静かな夜に読むのはいい。言語化する力、整理する力、物事を受け取める力、さまざまなものが弱まっているなと感じたとき 本や夜はとても味方になってくれる。

「いやいや、本の文字を追って情報を得ていたら結局頭の中は休んでいないのでは」それもごもっともだが、なぜか本は大丈夫。たぶん自分以外の人生の話だからだと思う。

 

現実逃避?まあ正直そうとも言えるけど、逃避の先に気づきがあればいいじゃないかということで。自分の知らない、知らないふりをしていたい世界にページを開けばすぐに出会えるのってやっぱりいい。それも夜に。ああ、ちゃんと睡眠もとりますけどね。おやすみなさい。

望んだことで弱音を吐くのは少し難しいけれど

たぶんその考えで生きていると自分の首も相手の首も絞めるんだろうなあと思いつつ、根底にその気持ちがあるから言えずに飲み込むことがたくさんあるのだろうと分析した。

 

人生設計をしていったんは思い描いた生活を手に入れ(努力も偶然も運もすべてを駆使して)ても、その後まったく悩みや不安が訪れない人などいるのだろうか。わからないけど。

 

一度目標や理想を達成したら、また次の山、それも「いつかは登りきれそうだけれど今はまだ少し届かない」山を新たなチャレンジの場に設定して、一日一日、積み重ねていく。

それが生きがいでパワーになる人もいれば、いつまで経っても本当の山に辿り着けず、終わりが見えずに疲弊する人もいるかもしれない。

うーん、私はどっちだっけ?

 

自分の話をすると、中学時代から思い描いていた夢や理想はあった。

一度は体験してみたいこと、ただただ普通の生活がしたい気持ち。

暮らしというより、ただ生きていくうえでの憧れ。それはそれは切実。体に痛いところや嫌いなところがなにもないタイプの人には想像がしづらいかもしれない。

 

そのいちばんの夢は、幸せなことに20代で叶った。叶ったと言っていいだろう。

つらいことがあっても、思春期や20歳前後の自分の暮らしより圧倒的に今が幸せなので ふっと冷静になったりもする。

その場その場でさまざまな予想外の出来事に出くわせば、もちろんそれなりにつらいけれど

「ああ、でも根底では叶ってるんだよなあ、もう」

と現在に感謝する。

これは余生なのか?と思ったこともあった。

瞬間的な欲はあるのに長期的な欲がないとでも言うのか。

 

だから普段からどちらといえばネガティブな思考をしがちであっても、到底不幸ではないと思っている。

ちなみに別の記事で「自分のことが好きになりきれない」ようなことを延々と説明したけれど、それも嘘じゃない。

好きにはなりきれないけど不幸ではないのよ。

叶って幸せを感じることと、自分を全面的に好きになってオーケーを出せるようになることはまた別軸の話なのだった。なんでよ。

 

叶うのが少し早かった影響か、野心もあまりなく 目標設定やキャリアや人生のなんとかプランにおいて年上の人たちを割と困らせてしまったかもしれない。

次の目標はなんだろう?一応(一応とは)そう思いながら過ごしてきたけれど、そりゃもちろん全く望みがないわけではないし、その年代なりの理想はあるけれども

切実にどうしても一生のうちに叶えたかった夢が叶っている今、いろいろあるよねえと口では言いながらもたぶん、さして重大ではないというか。

しんどいときもあるけど、楽しい。なんでもできる気がする今が、楽しい。普通に眠れて目覚められる今が。

 

「なにか楽しいことないかな?」クラスメイトが、なにもかも持っていそうな輝いたクラスメイトが机に突っ伏しながらそうつぶやいているのを聞いて、「既にあるよ、みんなには」と心で回答をしたあの頃は、それはそれで生命力があった。

絶対に叶うまで死ぬわけにはいかないんだ、と思ったものな。

 

私にとっての「なにか楽しいこと」はただの普通の生活で、だから楽しいこともいいこともあった。数えきれないぐらいの普通をプレゼントしてもらっている。

でも叶ったあとでもいいことが起こったあとでも死にたくはないからね。その点で言うといちばんの欲は「叶ったあとも生きたい」「幸せを感じていたい」という気持ちなのかもしれない。

 

どう考えても夢や理想を叶えて幸せそうな人がたまにSNSで悩みや不安を吐露していても

それは叶ったあとの感情だから、悩んではいるし不安ではあるけれど不幸ではないのだろうと推測する(勝手に)。

少しだけ、まるで叶ったときの自分を見るかのように俯瞰してしまう。

側から見れば悩みに寄り添っていないと見えてしまうときもあるかもしれない。ただ「大変だね」と声をかけることが果たして適切なのかはよくわからない。大変だね、しんどいねと決めつけることが時に失礼にあたるときもマウントに感じられることもあるかもしれないじゃない?

 

でもたとえばものすごく疲れて愚痴を吐きたいとき、あの頃夢見た未来にまさにいるんだ、そう実感してもそれでもなお疲れているとき、

「でも自分で選んだことだし」「自分が望んだ未来だし」と言葉を飲み込んで八方塞がりになってしまうのは危険だ、とも思う。

自分で自分を締めつけるし、相手のSOSにも鈍感になってしまう。

 

「でも実際は幸せだよね?どうしても望んだことだったよね」

再確認するのは自分の心にだけで充分。相手にそれを求めるのはよくないよ。

 

「大変だけど楽しいよ」

たぶんそう言われるのを待っている。開示されない日常に楽しみが多いことを、いつだって願っていたい。

 

これは誰か特定の人に向けた気持ちではなく(もちろん)ただ生きていく中で思っている話。

台風は長く留まり、雨も降ったり止んだり、私の頭痛も鳴ったり止んだり忙しい。

そろそろ晴れて穏やかな風が吹くといいな。

そしたらきっと、長く留まっているどんよりとした、不幸ではないけれどもモヤモヤとした気持ちも 

すこんと突き抜けられそうな気がするんだ。

完ぺきな0パーセントと記憶のいたずら

先日人間ドック後にある飲食店で飲んだノンアルビールが信じられないぐらいにおいしくて感動して

「次元が違う…これはノンアル界の羽生結弦…」とつぶやきそうになったし実際ストーリーで書きまくったし即効で通販もポチって

(ちょっと高いが週1または隔週のごほうびにしようと思った)

ついに自宅に届いたので仕事後にワクワクトゥンクトゥンクしながら飲んでみたら

 

「よしついに飲むぞー!やったー!これ次元が違うおいしさなんだよなあほんとに…(わくわくわくわく)ゴクリ」

 

「………?ん?」

 

「………?(ゴクゴクゴク)」

 

 

「……あ、あれ、おかしいな、普通…?

 

 

あれ?なんでだ?

人間ドック後は全然どこがノンアルなのか分からないほどビールの味しかしなかったのに、

おかしいぞ、今回は、わかる!

紛れもないノンアルやこれは!(ババーン的な効果音をくれ)

 

いやもちろんおいしいんだよ、でも、次元が違う!のスケーティングは脳内に浮かばず

香りも最高に素晴らしかったはずなのに、自宅で飲んだときはあまり感じられず。

 

なんでー!?

 

もしや、キンキンに冷えるまで待ち切れずに冷蔵庫から出してしまったからか?

あるいはそんなに高くないグラスに注いだからか?

そういえばあのお店はワイングラスのようなものにこのノンアルを注いでいた。

そして、製品はもちろんグラスすらキンキンに冷やしていた。

私はグラスも棚から出したものをそのまま使ったよな。

 

 

いやお店と条件違いすぎるな!

なんでー!?の前に割と理由分かるな?

 

 

加えてあの日は人間ドックで水分制限された上に

バリウム飲んでお腹を壊したりさらなる水分を欲して喉カラカラ、

前日もビール飲んでいない。

 

喉ごしが最高!になる条件揃いすぎていたのか…?

あの日は…まさかなにを飲んでも最高においしかった日……?

 

 

何度写真を見ても確かにあの日と同じノンアルビールを買ったのに、

感じる味と香りは全然違うなんて

狐につままれたようだわ。

あと厳密に言うとこのノンアル、よくよく見たら香料入っているんだよな。←飲食物の香料は妙に気になってしまうタイプ

惜しい。さすがに無添加であのベルギービールのような香りは作れないのか。

でもおいしいんだよ!

過去の私が羽生選手とハードルをあげすぎてしまって、脳内で芸術の秋の祭典が開催されるのが早すぎただけで……

 

 

ちなみに元々大好きなノンアルコールビールが別にありまして

そちらは箱買いしている。

1本あたりの価格もめちゃくちゃ安くて添加物もなしでカロリーも低くておいしくて最高なんですけど

それはデイリー使いとしつつ、

ちょっと贅沢な気分を出したいときに飲める高級志向のノンアルもついに見つけたぞー!と喜びまくってしまったのになあ。

まだ次元の違うノンアルには…

 

いや、でもまだ諦めない。

今度この高級ノンアルを飲むときは飲食店で飲んだときの状況と条件になるべく近づける。

 

【再現したい状況メモ🍺】

・ある程度喉が渇いている

・前日にお酒を抜いている

・ごはんを食べすぎていない

・製品をキンキンに冷やしている

・グラスも冷やしている

・しかも大きめの、口の広いワイングラス

 

 

書けば書くほどだいたいの項目が「どんなビールやノンアルもおいしさが増すメソッド」な気がしなくもないが、

とにかく来週またやってみるぜ。

ワイングラスにビールが正解かは分からないけど確かにおいしかったんだもん。

 

 

これだけやっても感動のおいしさが幻だったら、

記憶って曖昧だなあとか

毎日毎日感じ方が違うセカイって面白いなと捉えることにするよ。

 

※他の食べ物飲み物への味覚・嗅覚は大丈夫です。現状は具合悪いとかでも後遺症でもないのでご安心を…!

次の電車を待つ前に

混雑した駅のホームでした会話、なんだか迷いに対する答えみたいだなって思い出してる。

 

「混んでるね。まあ、次でもいいけど」
「次の電車も、その次だって同じだよ」
「そうかな。じゃあ、これに乗るよ」

「      」

 

まあラストは聞こえなかったんですけど、

発車のピピピにかき消されて。

大してバイバイも言わないまま乗り込んで、

私は何に急いでいた?

 

その時間帯はしばらくずっと混んでるよ。

次も、その次だって同じだから

いつ乗ってもいつ選んでも、同じでは?

あんまり迷って選びすぎても意味ないからね。

 

でも、もしかしたら違うかもしれないじゃん?

後から来た電車が偶然ものすごく空いているかもしれないし。

 

でも、帰る時間は遅くなるよ?

同じ確率で「後から来た電車のほうが混む可能性」もあるけどいいの?

 

 

ああ、これってなんのデジャヴか思い出したよ。

まだ見ぬ最新機種のガラケー携帯を待っていた「あの頃」だ。

 

『ケータイ待ち→まだ会っていない誰か』

ってタイトルのブログを、当時書いたんだ。

携帯電話を変えようか迷っているけれども

現状のラインナップでもまあこれがいいかな、という機種もあるけれども

「もう少し待てばもっといい機種が発表されるんじゃないか」と購入に踏み切れずにいる私に

母親が「もっといい人がいる、いい会社がある、みたいな雰囲気で語るなかれ」と突っ込むオチだったはず。

 

 

まだ会っていない、見ていないなにかと

本来比べなくていい、というか

比べようがないのにさ。

そんな簡単なことでも

ちょっと生きている時間と体験が増えるだけで

合理的に、データに基づいて、

まだ見ぬ芝生はより青く見え、

─いや、欲が出ているだけか。

 

 

気まぐれなのでいくつものブログやSNSアカウントを持っており

そしてふしぎなことに、書く文体と人格もプラットフォームによって多少変わる。

性格は多面だと思っていて、そのいろんな面を

いろんな場所でちょっとずつ出しているのかな。

 

ここは今は、感情のままというより…

や、まだ分からない。

ドラマチックになりすぎない、俯瞰した捉え方ができる場所も

また必要な場所だからね。

 

本当に自分勝手で、感情の整理がつくまで

たいてい口数が少なくなるし、人に連絡するのを忘れてしまう。

人としっかり話せない、話せなくなってしまう。

正確には、なにも喋らないわけではないのだけれど

頭の中は常にいろんな考えが巡っているのだけれど

言えない。

できるだけできるだけ結論を引き延ばして、

それまでなんてことない話題だけでごまかして、

なにを喋ったかなんて。

 

肝心なことはなにも話していないとき

私はきっとここに来る。

 

本当は思っていること、話したいこと、

やり直したいことがいっぱい。

 

でもきっと、いろんな人がそうだね。

 

昔の知り合いは「言語化する途中なんだね」

なーんて言ってくれたっけな。

そう捉えてくれるのが当たり前と思ってはいけないからさ、

ちょっとずつ 待たずに伝えていかなければね。

乗り込む電車は

偶然でも、いま選んだ場所だからね。

心を観察するピラティス

ピラティスに通い始めてもうすぐなんと2年経つのだが、

その2年でなんと5、6キロは痩せた。痩せましたよ。

ちなみに先日受診した人間ドックにて、3年前から比べると7キロも落とせたことが発覚し

「これは意図的に痩せたのか」と2回ぐらい口頭確認された。

まあするする落ちたのは食事管理を始めてからなので

ピラティスだけの成果ではないとは思うけれども

それでも、それでも、すごくない?

一般的にはまあまあ痩せにくくなると言われている年代としては。

 

まさか自分がちゃんと、こんなに続けられるとも思っていなかったから

未だにインスタのフィードには載せていない。

(すぐにやめたら恥ずかしいかなと思っていた。ストーリーでは記録代わりに投稿しているが)

 

でも、さすがに2年経つから

自分を信じて載せてもいいかな。

 

みんな!ピラティス最高だよ!

 

 

元々は石田ゆり子さんが自身のエッセイで

「思考しながら体を動かすのが私には合っている」

「生きることが楽になる」

とライフワーク状態のピラティスの話をされていて

その文章がとても印象に残った私は

「運動するなら、したくなったらピラティスだ」

「ゆり子が言うなら大丈夫(?)」と

お守りのようにやりたい気持ちを隠し持っていた。

いや隠し持つ前にすぐに始めればいいのだが

やっぱり教室を探したり入会となると、少しハードルは上がるのと

「まさか自分にできるわけ、続けられるわけないよな」

と、自分で自分を諦めてしまうというかねえ。

 

しかし2年前、ある縁で素敵に自身を撮影いただく機会があり

撮影の日まで自分なりに頑張って身なりを整え挑んだはずだったのに

とあるオフショ的な写真を見て

そのたくましさに愕然とした。

実際に誌面で使用されたカットは、とてもとても

実物より素敵に撮っていただいているのに

偶然の、不意打ちでのスナップでは魔法が解けており

私はごんぶとゆるキャラ、またはきっぷのいいアネゴにしか…

いや、ゆるキャラも可愛くて必要だし

アネゴはキャプ翼以来欠かせないキャラクターだが(?)

ワイは…私は着たい服や可愛く着こなしたい服、

自分がこうありたいというイメージがあるのだが

それは現状ゆるキャラでもアネゴでもなかったのだ。

 

「言うてもそこそこ痩せていて、服も綺麗に着れている」

というのは思い込みで

脳内補正がバリバリかかっていたことを

写真で知ってしまったので

 

「ここらで引き締めなくてはならない!!もうやる!!」

とついに一念発起。

とほぼ同時に近所にピラティス教室ができたと知り

10月まで入会すれば入会金無料なんて偶然が訪れたのが転機でした。

たしかほんとに10/31とかギリギリに入会した。

むちむちに気づいた撮影は10月中旬だったので

タイミングって面白いな。

 

今ではオーナーさんやトレーナーさんに

「ほんとに痩せたね!変わった!ピラティス体型だよ!」

「これ以上痩せなくていいよ」

と言われるまでになりました。夢みたいダナ…

というか未だに信じられないですが。

だって私だよ?

 

 

入会してさほど経たない頃、形から入るために買った

「なんだかトレーニングしている人が着ていそうなカッコいいウェア」は

背中の部分が網目状のバッククロスになっており

Mサイズだから大丈夫だろうといざ着てみたら

…まあ、着られはするのだが完全なボンレスハム

網目部分から肉がはみ出た状態だった。おいしそうだな。

 

恥ずかしくてそのウェアは着画も撮らずにお蔵入りとなったが

今となってはなぜ着画を残しておかなかったのかと後悔が残る。

 

数ヶ月後、なんとなく再度袖を通したら

ハムの部分が明らかに減っていることに感動して

体型測定の意味も込め、こっそり家でそのウェアの着画を撮るようになり

いつのまにかレッスンでそのウェアを着ても恥ずかしくないほどにハムはどんどん消失していき、

今現在はむしろMサイズがゆるくなりあまり着る機会がなく、

ウェアはSサイズで揃え直したのだから。

 

こっそり今日の背中。

まだまだとは思っておりますが。

 

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バッククロスのウェアはこれ。

5月の写真ですが、おお、なかなかすっきりしているな。

ほんとにほんとに最初は全部ボンレスだったんですよ…信じて…

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とは言え入会してしばらくは、

いや今も出来ているとは言い難いけれどもほんとに劣等生で

トレーナーの方々の言っていることや

体の、骨の動かし方が全然理解できず

レッスン生の中で私だけ変な動きを繰り返したり

右と左が咄嗟に分からずみんなと逆向きで進行しそうになったり(これは今でもある…)

シルクサスペンションの布に絡まって落ちたりなど散々な感じだったけどね。

不思議と辞めようとは思わなかったけど、

素質ないなあとは何度も何度も思った。

あるトレーナーさんには

「◯◯さん全然違う!」

「また◯◯さん!」

「◯◯さんってほんと面白い〜w」

とグループレッスンで名指しで教育を受け落ち込んだりもした。

人生全体に言えるけれど、

面白くしようとして間違えているわけでは

残念ながら、決して、ないのだ。

(相性などもあると思うので、なんとなく今はその方のいる曜日は避けるようになった…)

 

それでも2年程度経つと、こんな運動センスなし劣等生の私でも

なんとなく「ここに効かせるにはここを意識していけば、あるいは力を入れなければいいんだね」

と、レッスン中にふむふむと考えながらチャレンジができるようになっているのだから

ただただ続けるだけでも出会える新しさがあるのだなと嬉しくなってしまう。

それに、私のように

何が何だか分からんし出来てはいないけどとにかく続ける!なだけでも、

いつのまにか「ピラティス体型」と言ってもらえるまでに変われるということは

素質がある方なら、短期間でもっと結果が出て変わるのだろうなと。

それも楽しいだろうなあ。

(ちなみに大体週1回、1〜2時間やっています。食べすぎたときは家トレを追加。)

 

レッスンではとにかく体やマシンに対してだけ向き合えばいいので

日頃のいろいろを忘れて集中できる良い機会にもなっているのだが

たまに雑念が入ることもあり、そんなときは

「あ、思ったより私、あのこと気にしてるんだな」と自分の心に驚いたりもする。

 

指示通りに体を動かしながらも

「どうしてあの日あのときあの場所で…」と

なにも関係ない人間関係のモヤモヤが浮かぶようなときは

たぶんかなり疲れていたりストレスが溜まっている。

そんなときは念入りに、体を充分に伸ばしてあげたほうがいいなと。

繋がっていると言いますしね、心身は。

 

筋肉や骨だけじゃなくて、心身全部のバランスが浮き彫りになってくるというのか

体の動きを観察しているようで

実はこのワークでいちばん観察できるのは

心の動きなんじゃないか?と思ったりもする。

 

 

冒頭で少し触れた人間ドックでは、医師に

「ちょっとこのあたりがまっすぐじゃないですね」と

背骨下と首の骨に関しても指摘を受けたので

今日のプライベートレッスンでは背骨の下部を意識して動かすトレーニングを追加いただいた。

メニューをいくつか実践するだけで 1時間後には体の中心でスッと立てているような、

背骨とお腹を使えて軸がしっかりしたような感覚になるからほんと面白いな。

 

背骨、レントゲンで診たときはそこまでゴリゴリに曲がっているわけではなく

(以前のレントゲンもよく見たら曲がっていたので悪化はしていなさそう)

下にいくにつれてゆるーく、腰椎あたりの部分が少し曲がっているのかな、という程度だったけれど

それが先天性なのか生活習慣なのか

軽い側弯症(思春期のときに発症する女性もいるらしい)なのかはまだなんとも判別しづらいとのこと。

ピラティスを受けていても、先天性や側湾症の場合は完全にまっすぐにするのは難しいのかもしれないけど

ピラティスを受けているからこれ以上曲がることはないのではと期待しつつ

いずれちゃんと検査もしてもらおうかな。

 

という感じで、痩せたから終わり!ではなく

(ぜんぜん終わる気がしない。ずっと続けたい)

これからもピラティスを通して

自分の体とも心とも向き合っていきたいと思います。

ゆり子ありがとう。ゆり子の言う通りだったよ。

 

そして、私でさえもできるってことは

みんなできちゃうと思うので

もし少しでも興味があったらぜひ気になる教室の体験コースや

YouTubeで動画を観るだけでもいいのでぜひピラティスに触れてみてね。

私も家トレするときは大体「ピラティス 基本」「ピラティス 全身」とかでワード検索していろんな動画を観ています。

めちゃ分かりやすいのたくさんあってありがたい。

ただマットは実は上級者向けのピラティスなので、できればマシンピラティスも体験してほしい。ぜひ。

まだまだ語れるけど今日はいったんこのへんで。