日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

愛する人のためのこの命、という歌詞

昨日の家トレピラティスが思った以上に効いて、お腹、お尻、腿の裏、腕など広範囲で筋肉痛。教室でそこそこハードなメニューをした翌日に訪れる筋肉痛とほぼ変わらず驚いている。やればできた。家でもそれなりに、やる気さえあれば運動はできるのだ。自信になる。あと関係ないが筋肉痛が2日後に来るともう歳だなんて言うけれど、現状はもれなくまだ翌日にきている。というかやばいときは当日にきている。それって若さうんぬんというより、もしや元々の筋力がないからではとも思うけれど。

 

まだ体調が本調子ではないため残業はできないかもしれない、と宣言したのに別件で0時ぐらいまでPCと向き合ってしまう。しかしこれは業務外でやりたいことだったので残業ではない。そう、業務外で「ある人のための企画」を形にするため編集と書き物をしているのだが、その工程で何度もうっかり泣いてしまっている。さまざまな知り合いの、あるひとりの人に関する文章を集めてひとつのファイルにまとめていると、本当にどの文章もとても良くて胸がいっぱいになってしまう。その人の温度を身近に感じられる。集めてよかった。悲しいけれど、とても、やって良かった企画だ。それぞれの文章の順番も少し考えた。全体を見てあまり違和感のないバランスに、そしてさり気ない繋がりを持たせられたと思う。編集は任せてくれ、と言えるような力を持ちたい。考える時間が好きだから。

 

子猫はすっかりいつも通りにごはんを食べるようになった。寝ている時間は多いものの、ジャンプしたりそこそこの速度でも階段を下りるように。動物の回復力と、「無理できない」ときの静の徹底はすごいなと感じる。自分で分かっていて、回復するまで力を溜めているんだな。

そして動物同士の暗黙の了解、察する力もすごい。先住猫、いつもは子猫と追いかけっこしたり取っ組み合いしたり、ふたりでじゃれることが多いのに病院後はそれが一切ない。子猫から仕掛けることがないのもあるが、まだだな、と先住猫も察しているとしか思えない。そんなものだから体力が有り余っているのか眠る時間に瞳をカッと見開いて私を獲物と勘違いした先住猫(めげない)。ふたりの追いかけっこが復活する日はいつだろうか、待ち遠しいなあ。

 

寝る前に動物たちに話しかけることが多い。今日もよく頑張ったねとか、えらいとかすごいとか可愛いとか、こっそり大好きだよ、とかも言う。空気で知っておいてほしいなと、結構話しかける。

今日は先住猫が眠る前にサイレントニャーをした。サイレントニャー可愛いんだよね。不意打ちすぎて撮影できた試しがないが。調べるとサイレントニャーは飼い主への信頼の表れだとか、甘えているだとか出てきてきゅんとする。お互い会話できなくても伝えようとする関係性は変わらないのではないかな、今も昔も。

 

白いお腹を見せて眠る猫をもしゃもしゃしながら、唐突にエレカシの某曲の「30代 愛する人のための命だってことに ああ 気づいたな」の歌詞が浮かんだ。突然分かるような気がした。いや、ほんと急にだけど。

 

愛されることもそりゃあ好きだけど、好きでいること、愛することも好きだし醍醐味だよなあ、なんて思ったり。人間への愛情、動物への愛情、どちらも幸せな感情。

素敵な人間性を伝えたいから文章を書く。

友好的な気持ち、好きであることを伝えたいから動物にも話しかける。

一見結びつかないように見えるこの2つの出来事、綺麗すぎる言い方で恐縮だけど 誰かのために伝えることがきっと好きだ。純粋な好きや感動を伝えることを恐れずにもっと続けていたい。口にするのは下手だけど、言葉を生き物にし続けていたい。

やっぱりエレカシすごいな。先回りして体験してくれているのは気のせいじゃない。