日なたのアイスクリーム

オタク気質30代の散文裏ブログ。日常での気づきやオチのない日記、犬や猫のことなど。

宙に浮いた思考たち

ぼんやりとしたエッセイや言葉を書ける場所がほしい。

やっぱり、と冒頭につけてもいい。

書き途中でもなんでもいいから、

散文を、なにも考えずに推敲もせずに

頭の中を言語化できる場所が、やっぱりほしい。

 

何気ない喜びや悲しみをいきいきと残したいな。

 

 

最近思うのは、人は平等に歳をとるということ。

もちろん見た目や気持ち、いろんな力や個性で差は出るにしても

時間は、ここでも「やっぱり」と使いたいけれど

平等に流れてそこに存在している。

 

ずっと今がいちばん幸せなのだろうなと思う。

なんて矛盾な、でも長く生きていったなら

きっとなぜかそう思ってくるだろうから。

 

平等に歳は流れていくのに

だけどたまにさ、自分がいくつなのかよく分からなくなる矛盾も

あるんだけどね。

気を使いすぎる大人にも、知らないことに目を輝かせる大人未満にも

どちらにもなれない中途半端さを抱えている。

 

 

あと最近ぼんやり思うこと、その2

欲張りだなんて思わなくてもいい。

叶っても叶わなくても、自分の頑張りとも日頃の行いとも

なにも関係がない、なにも結びつきがない事象だって

ここにはたくさんあるのだから。

 

 

今までやってこなかったから、頑張ってこなかったから叶わなくて当然だと

物分かりのいいふりをしなくても別にいいかもしれないということ。

自分を落として人の生き方を応援することは別にしなくてもいい。

 

どちらも祝福されてここにいるのだ。

 

そう改めて気づいたときから、どきどき、びくびくしながらも

自分の贅沢な気持ちを許すようになった。

体験というより思考に近い。

たとえこの先予想外にどんな素晴らしい出来事が待っていようとも、

「私はいいです」と断らない勇気とでもいうのか。

 

楽しさを肯定し、贅沢を受け入れるレッスンのようなものですね。きっと。

 

 

とんでもない罪を背負ったことはたぶんないのに、

 

罪滅ぼしだから、これは

 

と、悲しいことやぽっかりした日に辻褄を合わせようとするのが

なぜか人生の中で当然だと思っていた。

たぶんよく考えるとそれも罪滅ぼしでもなんでもなく

ただ悲しくぽっかりとした出来事があっただけだったのに。

 

もちろん、これは良くなかったな、

もうしたくないな、と心に決めた瞬間は

物心ついた頃から数えるとそれなりにあるし、

そのたびに反省もする。

無知や意識の欠如は時として残酷に

誰かに迷惑をかけてしまう。

 

でもそれにしたって、なんでも悲しいことを過去の自分のせいにしすぎだろう、

それでは疲れてしまうだろうということだ。

紐付けすぎると、偶然つらいことがあっただけでもそのすべてに意味がある、過去の自分の行いがすべていけないのだと思ってしまう。

世の中すべての出来事が、「そうなってしまう」。

それはとても恐ろしいし、失礼なことでもあると。

 

 

なんでも手に入るわけではないけれど

謙虚がいちばん素敵だけれど

謙虚とあきらめと言い聞かせはそれぞれ違うから。

 

例え話なら─誰かの計らいか、あるいはなにかのギフトでとてもおいしそうなアイスクリームが目の前に並んでいて、好きなのを選んでよ、と言われたとする。

その場にいる大半の人は喜んでいて、自身だって本当はアイスクリームが好きなのに

目の前にある事実が贅沢すぎて申し訳なくなってしまって、

「私はアイスクリームがふさわしい人間ではない」と誰に言われたわけではないのに結論づけ、ひとりだけなにも食べずに部屋に行き、そして勝手に落ち込むような感じ。

 

おかしな話だけれど、そんなコントを真剣に、それがむしろ誠実だと(これから幸福感を得るためのパズルのピースだと)信じて繰り返しているのが私だとしたら?

 

幸福感を得る、って何気なく書いたけどいろんなことに当てはまってなんだかしっくりきた。

幸せになる、という表現にはいつも少し違和感が(めんどくさい人間であることは承知で、言いたい雰囲気はもちろん分かるとも補足して)、というか、その意味をなんとなく紐解きたくなるのだが

きっとそれも「幸福感を得る」の積み重ねなのだろう。

その瞬間がより多く降り注ぎ、そして実感できる状態を指すのかもしれない。

 

私はいつだってなにかが足りないかもしれないけれど、振り返ってみれば案外そんなことはないし

何十年も経ったあと、過去になった今が幸せで仕方なくなるのだから

そういう意味で「ずっと今がいちばん幸せなのだろう」と書いた。

 

やっぱりきっと、今もこの先も幸福感を得る瞬間がある。

それでもいいんだよね。

誰に許可を取っているのか知らないけれど。

 

 

アイスクリームが食べたかったら

ちゃんと食べていいと言っていたい、今からでも。

頑張ったご褒美でもいいし、

別に頑張らなくても食べていい。

自分が望むのであれば。

 

 

頑張りがどうにもならない偶然なんてきっとたくさんあるのだから、せめて、せめて やってきてくれた喜びやチャンスは

溶けてしまう前にスプーンですくえるように。